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修行システムの是非について 自分のレベルを階層化し、その特性を考えると修行システムの意義が見えてくる


八幡謙介ギター教室in横浜

どんな分野でも、レベルアップするためには謙虚さと忍耐が必須です。

そのためにはいわゆる「修行」が必要であると僕は考えます。

以下それを具体的に説明します。

 

どんな分野でも、今の自分のレベルでは見えない、理解できない、存在すら予感できないということがあります。

以前どっかで書きましたが、それぞれのレベルを第一階層、第二階層……と階層分けするとしましょう

第一階層の人は第一階層の世界しか見えておらず、第二階層の存在が見えていないどころか、それがあることすら想像できません。

だから第一階層の天井が「道」のゴールだと思い込んでいます。

第二階層に上がってはじめて第一階層以上の階層があると知ります。

もちろん、第二階層の人はまた第二階層の天井がゴールだと思っています。

ただし、第二階層に上がった人の中には、その経験から『もしかして、また上があるのかも……』予感できる人が出てきます。

何階層まであるかは別として、一生懸命やっていれば階層を上がっていくことは可能です。

しかしそのために絶対に必要なことがあります。

それが謙虚さと忍耐です。

既に述べたように、第一階層の人には第一階層の天井がゴールだと見えています。

しかし、そうじゃないよというヒントは回りにあふれているはずです。

例えば音楽。

音程が合っていればいい歌になるというのは、いかにも第一階層っぽい思い込みです。

そして、そこがゴールだと思って一生懸命音程を合わせる練習する人もいるでしょう。

音程さえしっかり取れるようになればもっとファンがつく、もしかしたらプロも夢じゃないかも……と。

一方、歌の世界では「歌は心」「音程なんて外れてもいい」「音符通り歌ってもつまんない」といったことを言う人も沢山います。

第一階層の人からしたら、理解できないでしょう(それが理解できないから第一階層なんですが)。

ちょっとひねくれた人なら、『音程がどうでもいいだって? 合っててもつまらないだって? あいつらは自分の下手さをごまかすために言ってるだけだろ?』と邪推してしまいます。

ここでもしそういった言葉を、『自分よりはるか上の人が言っているんだから、そこに何かあるはずだ』と謙虚に捉え、いつか分かる日までじっと耐えることができればその人は間違いなく一つ上の階層に上がることができます。

そうして階層が上がってはじめて『ああ、あのときあの人が言っていたのはこれか……』としみじみ理解することができるようになります。

未熟さ特有の傲慢さと焦りから先達の言葉を無視してきた人は、残念ながらいつまでたっても上位階層には上がれません。

だから余計に傲慢になり、そのはけ口をネットに求めます。

ネット上にあふれるプロ、達人、評論家は全て間違いなくその類いです。

とはいえ、今の自分には見えない何かがあるはずだと考えることは、とても苦しいものです。

自発的にそこに到達し、しかも何年も耐え続けるのは不可能に近いでしょう。

そこで修行の意味が見えてきます。

修行とは上位者からの謙虚さと忍耐の強制に他なりません。

それらを強制されることで、自分がゴールだと思い込んでいた高みが、もしかしたら階段の一段に過ぎないのではないか、その上には二段目三段目と果てしなく続いているのではないかと想像できるようになってきます。

そうして、忍耐の日々からうっすらと現在の階層のゴールが見えてきたとき、それはもうゴールではないと分かっているので、そこを突き破って上位階層へとレベルアップすることができるようになっています。

 

では自分が上位階層に上がったとなぜ分かるのか?

それは先達や師匠が認定してくれます。

職人なら職人の仕事を任される、免状をもらう、人前で芸を披露することを許される、店を構えることを許される、などなど。

そう考えると、日本古来の修行システムもなかなか理に適ったものであると言えそうです。

もちろん人間のやることですからそこに間違いや打算、政治なども絡んできますし、修行システムを超越し、自分の力でどんどんと階層を上がっていく天才が現れることもあるでしょう。

しかし、あくまで一般論として、一個人が自分の階層の天井からさらに上があることを想像することすら不可能です。

特に第一階層にいる人、そして20代いっぱいまでは、99.9%無理と言っていいでしょう。

だから他人からの強制による修行が必要なのだと僕は考えます。

そうして20代いっぱいぐらいは修行しておくことで、残りの人生どこまで行っても上の階層があると予感しながら道に励むことができようになるのではないかと思います。

とはいえ、時代に合わないといえば合いませんが、すくなくとも僕にはこうした修行システムが理不尽だとは思えません。

 

ちなみに僕の教室はそこまで厳しくはないのでご安心を。

修行を課しているとも思っていないし、自分を師匠だとも、生徒さんを弟子だとも思ったことはないです。