以前購入したCambridge Audioのスピーカー。
1ヶ月ちょっと使って、もうこれが「自分の音」ということにしようと決めました。
「自分の音」というのはどういう意味かというと、そもそも音楽はスピーカーによって音が変わります。
どれが正しいというものではありません。
世界標準と言われるスピーカーもありますが、それですら絶対的な基準にはなりません。
となると、後はもう好みで選ぶしかありません。
とはいえ、定期的にあれこれ買い換えていると基準が定まりません。
そこで、「このスピーカーから出てくる音が自分の中の基準だ」とどこかで決める必要があります。
それを僕はCambridge Audioにしました。
あらゆるスピーカーを試したわけではないし、また気が変わるかもしれませんが、いつまでもスピーカー難民をやってると自分の中の音の基準が定まりません。
「このギターはこういう音」「このアルバムはこういうサウンド」とそろそろ決めてしまいたいので、Cambridge Audioから出てくる音を自分が認識する音の基準とします。
今のところリスニングに限った話ですが、たぶんこのスピーカーで製作もできるんじゃないかと思います。
自分の音を決めると、まず「原音」という幻想に悩まされなくなりました。
オーディオ界隈では「原音」という言葉をよく使いますが、そんなものは所詮幻です。
音楽は必ずオーディオデヴァイスを通して聴くものなので、どうしたってそれらの味付けがなされた音で出てきます。
テンモニですらテンモニの味で出てくるということは使ってみてよくわかりました。
原音が幻なら、自分にとって一番いいと思われる音を探して、それをメイン機材として使えばいいだけです。
もちろん、客観的にそれよりもいい音はあると思いますが、言い出せばきりがないですし。
今僕は、音楽を聴くとき「自分の音」として聴いています。
もちろん正しくはアーティストの音、エンジニアの音なのですが、原音自体がない、あるいは再現できないという地点から出発しているので、本来彼らが作った音を最終的に自分が加工して再生しているという認識です。
仮に原音(それがあったとして)とは似て非なるものだったとしても、「自分にとってこのアルバムはこういう音、このアーティストはこういう声だ!」と決めつけて、それを是として音楽を聴くことは悪ではないと思います。
もちろん、十分な客観性や探究を経ていることは絶対条件ですが。
何を聴いても『もしかして他のスピーカーで聴いたら…』と考えるより、『これはこういうもんだ!』と限定したほうが気持ちがすっきりし、音楽を素直に楽しめます。
少なくとも僕にとってCambridge Audioは、「これが俺の音!俺にとってここから聞こえてくる音が正しい音だ!」と決定できるポテンシャルを持っています。