人は誰でも不安になるときがあります。
特に、音楽など芸事で将来食っていきたいと考える人は、誰でも強い不安を持っているでしょう。
そうした不安は強いストレスを生み出すそうです。
また、そうした不安から好きなこと、就きたい仕事を諦めてしまう人も多いでしょう。
そんな不安への対処法を僕なりに考えてみました。
多くの人は不安になったとき、人に相談すると思います。
はっきりいって、意味ないです。
他人のアドバイスに有効性がないということではなく、不安というものは自分自身が生み出しているものなので、誰に何を言われたところでまた絶対にどこかで湧いてくるからです。
もちろん、また不安になったらまた信頼できる人に相談すればいいのかもしれませんが、毎度毎度ドンピシャのタイミングで話を聞いてくれ、不安を消し去ってくれる人がつかまるとは限りません。
だったら他力ではなく、自力で不安に対峙するようにしたほうが建設的でしょう。
もちろん、親身になって相談に乗ってくれる人の話を聞くことで、なにかしらのヒントが得られたり、一時的にでも気が休まったりはします。
一方で、相談するだけ無駄なケースも多々あります。
よくある例としては、
- 難しく考えすぎだよ
- もっと楽に考えてみなよ
- 明日どうなるかなんてわからないんだから
- 人はいつ死ぬかわからないんだよ
こういった定型文を返してくる人がいます。
僕自身、20代前半でミュージシャンを目指して勉強しつつも将来が不安で仕方なく、そんな気持ちを誰かに相談したとき、上記のことを一通り言われました。
そのとき、『あ、人って他人の不安なんてどうでもいいんだ』と思い、それから人に相談しなくなりました。
余談ですが、「人は明日死ぬかもしれない」と悟ったようなことを言ってきた人は、早々に消えていきました。
以下はギター講師が自分の体験から勝手に定義したものなので、そのつもりでお読み下さい(専門的な勉強もしてません)。
不安とは、未来です。
極論すれば人は未来のこと全てを不安に感じます。
言い方を変えれば、未来のこと全てが不安となる可能性を持っていると定義してもいいでしょう。
では未来とは何か?
ここでは未来を<ゴール>と定義します。
この<ゴール>の存在が人を不安にさせる元凶です。
<ゴール>とは、だいたいの人が想像するイメージと同じです。
試験の合格、試合に勝つ、目標の達成、夢を叶える、何かをやり遂げるといったことが<ゴール>です。
といっても大きな事だけではありません、もっと小さな<ゴール>も探せば日常に潜んでいます。
ゲームでレアアイテムをゲットする、コンビニの人気スイーツを買う、推しがライブ配信でコメント読んでくれるか、いつもの電車に乗れるか、今日も無事に家に帰れるか……そういった小さなことも<ゴール>です。
未来に<ゴール>が存在することで人に不安が生まれます。
じゃあその<ゴール>を考えなければ、もっと言えばつくらなければ不安はなくなるんじゃね?
……まあ単純に考えればそうなんですが、はっきりいってそれは不可能です。
人生の目標を全て捨てて引きこもりとなり、毎日を無為に過ごせば不安はなくなるのか?
それは無理です。
なぜならどんなことにも<ゴール>はあるからです。
ある程度潤沢な資金があったとしても、引きこもり生活にも必ずどこかに<ゴール>があります。
それを一切考えないということは不可能です。
また、暇つぶしのゲーム、SNS、日常のちょっとした出来事にも<ゴール>は存在します。
<ゴール>があるのは仕方ありません。
その<ゴール>とどう向き合うかが不安への対処法となるのです。
<ゴール>はたいてい、ある程度先の未来にあります。
その未来を考えるから人は不安になります。
一方で、人は”今”のことを比較的不安に感じないという性質があります。
例えば、試合直前までは緊張していたのに、いざ試合が始まったら無心で動けたということがよくあります。
試合直前は試合が未来のことであり、そこでの結果が<ゴール>です。
だから不安だったけど、いざ試合が始まるとそれが”今”のことになったので、一気に不安が消えたのでしょう。
テスト、発表会、本番、様々な状況で同じような現象があります。
人が”今”を不安に感じない(不安が軽減される)とすれば、常に”今”のことを考えるようにすればいいのです。
とはいえ、<ゴール>を一切考えないというのもそれはそれで無理でしょう。
ではつい<ゴール>を考えてしまい、不安になったときはどうすればいいのでしょう?
僕は気持ちを”今”に引き戻すために、今自分の目の前にあるものを認識するようにしています。
例えば自室にいて、つい将来のことを考え不安になってきたら、今目に見えているものを口に出して言います。
コップがあれば「コップ」、PCがあれば「パソコン」、「スマホ」「財布」「ベッド」などなどなんでも構いません。
外なら「車」「本屋」「電車」など今見えているものを心の中でつぶやくだけでもいいです。
そうすると意識が”今”に引き戻され、なぜか心が落ち着いてきます。
もちろんまたすぐに不安になることもありますが、そのときはまた同じようにして意識を”今”に引き寄せれば不安は消えます。
そうして”今”を認識し、今やるべきことをやっていると、以外と不安は出なくなってきます。
人は”今”のことに意識を向ければ一瞬<ゴール>を忘れ、その結果不安が軽減されるというのはなんとなく理解できると思います。
では、今正に<ゴール>に向かって行動しているときはどうでしょう?
実はこれも一緒で、”今”やっていることをひとつひとつしっかり認識していくと、わりと落ち着いてきます。
例えば受験なら、『今日の受験が自分の人生を左右する。だから絶対に受かる!』と考える人は、<ゴール>を見ています。
だから不安になってきます。
そうではなく、『今、家を出た』『今電車で会場に向かっている』『今会場に着いた』『今数学の試験が始まった』『今第一問を解いている』……と、常に今のことだけ考えていると落ち着いてきます。
何かの本番も同じです。
そもそも、結果はどうあれ<ゴール>というのはやっていれば自動的に到達するものなので、考える必要はありません。
<ゴール>がどこかわかってさえいれば、後は常に”今”にフォーカスしておけばいいのです。
そうして、”今”やることをやっていれば自ずと結果はついてきます。
改めて不安というものを考えてみると、意識がどこかへ飛んでいっているような状態だということがわかります。
合格とか、成功といった今できるものではない、今訪れない未来のことに意識が飛んでいるので、それをつかまえて”今”の自分に鎮める……
私見ですが、神道でいう「鎮魂(たましずめ/ちんこん)」もこれに同じだと解釈しています。
神道では禊をした後正装し、正座をして印を結んで祝詞を唱えるといった儀式を要しますが、中身だけ考えると要は飛んでった意識が自分に戻ってきて、不安が少しでも解消されればいいだけなので、僕は目の前にあるものを認識するという方法をとっています。
続けていると、本当に飛んでいった意識(魂と言ってもいいですが)が体に戻ってき、胆の底に鎮むのがわかるようになります。
丹田というのもやっぱりあるのかなという気もします。
魂とか丹田とかいう言葉を使うと怪しくなってくるので、僕は普段は使いませんが。