このブログで解説するいい歌詞はないかなーと探していて、ふと米津玄師の「Lemon」を聴くと「あーなるほどな」と思ったことがあるので書いておきます。
作詞作曲 米津玄帥 ソニーミュージックレコーズ
夢ならばどれほどよかったでしょう
いまだにあなたのことを夢に見る
忘れた物を取りに帰るように
古びた思い出の埃を払う
戻らない幸せがあることを
最後にあなたが教えてくれた
言えずに隠してた昏い過去も
あなたがいなきゃ永遠に昏いまま
きっともうこれ以上傷つくことなど
ありはしないとわかっている
あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してたあなたとともに
胸に残り離れない苦いレモンの匂い
雨が降り止むまでは帰れない
今でもあなたはわたしの光
歌詞の内容は無視します。
今回説明したいのは、強烈な色彩の対比です。
前半はずっと暗い心情表現が続き、モノが出てこないことと、それに伴い、色彩感覚がずっとないことが特徴です。
普通の歌詞だったら、色んなモノ(物質、風景、自然など)が出てき、それが詩の世界に色彩を与えます。
桜、太陽、雨、空、電車、ビル、教室、スマホ、などなど。
しかしこの「Lemon」の歌詞は、とにかくずーっと心情表現が続き、まったく色彩が浮かびません。
あるいは浮かんだとしてもくすんだ灰色のような暗い単色のみでしょう。
モノが一瞬出てきたとしても、「忘れた物」「埃」といったほとんど固有名詞として意味をなさないものだけです。
それらにもやはり色彩的な特徴はありません。
そういった表現がずーっと続き、なんか重いなーと感じながらサビに突入。
サビもやっぱり同じ調子で続きますが、そこに突然「レモン」という単語が出てき、『うわっ!』となります。
色彩のない暗ーい精神世界に沈んでいたかと思えば、いきなり真っ黄色の鮮やかな物質が出てきて、印象を全部持っていきます。
さらにその印象を引き継ぐように、「今でもあなたは私の光」と結んでいます。
この「レモン」と「光」だけがこの作品における色彩となっています。
(2番では「レモン」は出てこない)
ここまで読んで僕はすぐに「あ、芥川や!」と思いました。
芥川龍之介の「蜜柑」という作品は、これと全く同じ構造をしています。
私見ですが、「蜜柑」は文章における色彩効果の実験を試みた小説です。
前半からずーっと陰鬱とした描写と暗い色彩が続き、そこへ鮮やかな色の「蜜柑」が登場し、それをきっかけとして主人公が認識を一変させるという内容です。
「Lemon」もそれと全く同じ構造を持っています。
米津さんが芥川の「蜜柑」を読んでいたのかどうかは知りませんが。
「Lemon」はそうした文学的なギミックを持った作品だと言えるでしょう。
しかも、振り幅の効かせ方が尋常ではないので、その効果は絶大です。
『なんでレモンなの??』と不思議に思った方は、その辺に注意しながら、歌詞をよく読んでみましょう。
興味ある人は芥川の「蜜柑」もどうぞ。
著作権は切れているので、電子書籍なら無料で探せるはずです。