馴れ合いで何かをはじめると、なぜかスタートダッシュでいい感じに加速します。
お互い褒め合って一種の”ハイ”になっているのでしょう。
だから一時的に全員が一丸となって頑張る状態ができあがります。
それを見て「俺も私も」と参加してくる人、面白いことが始まったと興味を持ってくれる人などが出てき、イベントや動画の再生数などで最初からいい数字を出します。
するとさらに勢いがつき、次はもっと面白いことを、となります。
そうした渦中に身を置いている人(当事者もファンも)は、何か新しいムーブメントが始まっている”予感”に酔いしれ、自分たちがそれを牽引している、自分たちが新時代を切り開いていく革命家であると錯覚し、興奮します。
恥ずかしながら、自分もそうした場に身を置いたことがあるので、よくわかります。
残念ながらこれらはほぼ全て幻想であり、数年で必ず失速し、ほとんどは跡形もなく消え去ります。
自分が関わったものを思い出してもそうだし、身近な人たちや、ある界隈(音楽なら音楽、文学なら文学)で何かをはじめた人を見てもやはりそうです。
なぜそうなるのかずっと疑問でしたが、やっと原因がわかりました。
それが、馴れ合いです。
馴れ合いで皆”ハイ”になり、興奮し、幻覚を見ているからあの異常なまでのスタートダッシュが生まれ、そして「何かが起こる」と錯覚してしまいます。
しかし、世間というものは常に冷静で、冷酷です。
馴れ合いの渦中にいない人は、”ハイ”になっている人たちの興奮や酩酊にあてられることなく、彼らや作品を客観的に観察し、そこから余計な熱を取り除いて本質を探ろうとします。
また、渦中の人も、やがては冷静さを取り戻していきます。
何かが始まろうとしていた”予感”は、ただそうあってほしいという手前勝手な期待でしかなく、集まってきた人たちは、結局自分もおいしい思いをしたいだけ、流れになんとなく乗りたいだけで、その数も中身も最初からずっと一定でしかなかったことにやがて気づきます。
そうして一人また一人と去っていき、頑固に続けている人たちは、時代遅れとなっていきます。
馴れ合い、褒め合いの集団は、おおよそこういった流れで消えていくのだと思います。
アーティスト志望の人は、身近なところで何かが始まろうとしているのを感じたら、冷静に観察してみましょう。
馴れ合い臭はしないか、やたらと褒め合って高めあっていないか、客は身内や固定ファンだけではないか、本当の世間の評価はどうか……。
そういった集まりに参加すると、確かに高揚感、酩酊感は得られます。
活動もいきなり充実してくるでしょう。
しかし、それはほんの一時だけです。
そして、以前記事で書いたように、後に必ずといっていいほど消えていきます(それも、一番キラキラしていた人から!)。
ですから、馴れ合い臭、身内感の強い集まりはできるだけ避け、その間に爪を磨いておきましょう。
自分の過去を振り返っても、馴れ合い集団にいたときに学んだことはほとんどありません。
しかし、盛り上がっている人たちを横目に、暗鬱としながら自分だけの何かを模索していた頃に掴んだ何かは、後々華開いています。
だから、今ぼっちのアーティスト志望の人は、それで大丈夫です。
あせって乗っかる波を探すのではなく、さらに自分の内へ内へと潜っていきましょう。
必ずそれが華開き、かつてのリア充を見返すときが来ます。