ギタリストは、なぜかジャズをギターの最終進化形態、ギタリストが最後に行き着く最高のものだと勘違いしていますが、まずこの考えを捨てるべきでしょう。
歴史的にも間違っていますし、ギターという楽器の特性、役割などを考えても、ジャズに最も適した楽器だとは思えません。
こうした考えは歪な優越感を生み、排他的な思考をはぐくみます。
ジャズギターは単なるいちジャンルであり、ロックやブルース、ファンクなどと平等であると再認識しましょう。
本シリーズでも結論付けましたが、ジャズギターに求められているものはBLUESフィーリングです。
ギターがジャズで輝けるのはそこだけだと言っても過言ではありません。
変に他楽器に対抗、追従しても二番煎じで終わってしまいます。
そうではなく、ジャズギターはジャズギターにしかできないことを追求するべきでしょう。
もちろん、「BLUESフィーリング」というのは僕の答えですから、それぞれ自分の答えを見つけるべきなのでしょうが、恐らく最後にはここにたどり着くと思います。
僕自身、ジャズギターの世界から完全に離れてようやくその問題点や本当のよさなどが見えてきました。
僕のように、何かを突き詰めて考えたい場合一度離れてみるのも有効だとおもいます。
特に、ジャズギターは人口が多いので、その世界にいるだけで知らず知らずジャズギター独特の空気に取り込まれていた、ということがあるはずです。
難解さの信仰や他楽器への追従、シンプルな演奏の軽視などがそれです。
またジャズから離れてみると、8ビートのかっこよさ、トライアドの美しさ、シンプルな楽曲の力強さなどを再発見できます。
そこからまたジャズを聴くと、ジャズのよさも再確認できます。
何事もどっぷり浸かるのは危険です。
また、ジャズギタリストに評価されるための演奏をやめましょう。
評価基準をそこにすると、順当に上達すればするほどジャズギターの泥沼一直線です。
最低でも、ギタリスト全般に受ける演奏、できれば一般の音楽リスナーを対象にしましょう。
……と、色々提言してきましたが、結局僕が何を言ってもジャズギターはジャズギターのまま、ずるずると存在していくのでしょう。
でも、もしかしたらいずれチャーリー・クリスチャンのような、ジャズ界全体を巻き込んだ新たなムーブメントを巻き起こすギタリストが現れるのかもしれません。
そんな妄想をしているあたり、僕もやっぱりジャズギタリストなのかなあと苦笑いします。
さて、19歳から研鑽してきたジャズギターとは、どうやらこれでおさらばです。
レッスンでは教えていますが、外で弾く気はもうありません。
ジャズギタリストとして全く世にでることはありませんでしたが、悔しさよりも、何かすっきりした感じがしています。
僕のジャズギタリストとしてのピークは、アムステルダムで終わっていたのでしょう。
あのギラギラした感じがもうどこにもないのならもうやる意味はないな、とは2004年に帰国してから分かっていたことなのですが、やめるまでに10年もかかってしまいました。
ということで、「ジャズギターがつまらない理由」は、僕自身のジャズギタリストという肩書きと共に終幕です。
なお、僕が過ごしたアムステルダムの街並みやセッションの雰囲気は、「ラプソディ・イン・アムステルダム」で読むことができます。
全て実話ではありませんが、ジャズがお好きな方、アムステルダムに興味のある方はぜひご一読ください。