ジャズギターは、ジャズの中でも存在感を示すことが困難な楽器です。そのため、他の楽器の特徴を模倣し「ほら、ギターでもできるよ」とある種の虚勢を張ることで自己主張を続けてきました。
それに何の意義も効果もなかったことは、こんにちでのジャズギターの有り様が証明しているといえるでしょう。
それに加えてもう一つ、ジャズギターの世界の悪習をご紹介しましょう。
ジャズギターには、シンプルな演奏を蔑み、難解であることをよしとする風潮が存在します。
管楽器やピアノにもそういった風潮はあるのでしょうが、恐らくギターは群を抜いています。
これはアカデミックな世界と似ているような気がします。
西洋人の考えにできるだけ接し、そこから多くを引用し、できるだけ難解に解説できた者ほど偉く、自説を自分の言葉でシンプルに説く人ほどなぜかバカに思われるという空気です。
ジャズギターの世界でも、アメリカの最新のジャズギタリストが使うスケールやハーモニーをきちんと解釈し、それをできるだけ難解に解説、引用できる人が持てはやされます。
もちろん、独自のハーモニー感を持っている人もいますが、やはりそれも難解であればあるほど偉いとされます。
それらに興味を持つのは、ごく一部のマニアを除き、あとはジャズギタリストのみです。
そうして「分かる人」だけが集まる例の内輪ノリが形成され、客足は遠のき、シーンはより閉鎖的となっていく……。
難解さが招く悪循環です。
僕は、ギターという楽器は、本来シンプルな演奏をするものだと思います。
ジャズにしろロックにしろ、いい演奏は仮にある種の難解さがあったとしても、聞き所、楽しみ所はシンプルで誰にでも分かるようにできています。
ジャズギターがそうしたシンプルさを取り戻したとき再評価されるのではないかと僕は思うのですが、どうなんでしょうか?
まあ恐らくシンプルな演奏を売りにしても、まず他のジャズギタリストから「あんなのは古い」と潰され、修正させられて終わりでしょうが。
そう考えると、ジャズギタリストはまず何よりもジャズギター界の評価という壁を突破しないといけないということが分かります。
ジャズギター界で評価されたければ、存分に難解な演奏を目指せばいいでしょう。
そうなると当然、一般社会、一般の音楽ファンは遠のいていきますが。