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表現とは主観か、はたまた客観かという二元論について


八幡謙介ギター教室in横浜

 

 

表現と自分

前回の記事(上記4)で、『表現とは自分が”表現”という行為を行うことではなく、他者に自分の意図する感情をもたらすことが目的である』と述べました。

しかし、それを推し進めると、『じゃあ客の反応が全てなのか? 自分の欲求はいらないのか? 表現に主観は不要なのか?」という問題に突き当たります。

「表現」とは、そもそも何かをしたいという欲求が自分の中に起こり、それが抑えきれなくなって発露されるものです。

その強烈なエネルギーがなければ芸術という不毛な活動を続けていくことは無理です。

と同時に、芸術には、「他人が聴いていい音楽」「他人が読んで面白い文学」といった客観的価値も必要となってきます。

自分のエネルギーだけを爆発させても他者には届かない、かといって、客観性ばかりを追い求めると意欲が減退してしまう……僕は以前から、この矛盾を「解決」しようと考えてきました。

しかし、最近になって分かったことは、それらを解決する必要はないということです。

そもそも、現代人は異常なほどの矛盾恐怖症であり、自分の中に相反するふたつの概念が同時に存在することを悪であるとする傾向がありますが、その考え方自体を疑ってみると、主観と客観の問題に全く別の糸口が見えてきました。

結論から言うと、主観と客観を両方同時に持ちあわせ、それらが常に拮抗している状態をキープする、という考え方です。

 

 

矛盾は解決しなくてよい

自分の中にある、他者を無視した表現欲求(主観)と、自分をどんどん消していき、客観性を獲得するという矛盾した概念を両方常に持ち合わせ、それらが常に拮抗している状態をもって、”健全”であるという考えです。

主観かはたまた客観かといった二元論――やがてどちらかが勝利し、一元に統一される――ではなく、どっちも大事で、そのどちらもが「自分の方が大事だ!」と常に主張しあっており、そのどちらも永遠に勝利 / 敗北しない、といったイメージです。

だから矛盾は永遠に解決されませんし、それでOKとします(そもそも、矛盾しないことが”正しい”とするのは西洋人の悪い考え方です)。

 

 

常に矛盾に迷い、苦しんでいることが正解

主観と客観が常に拮抗している状態は、はっきりいって苦しいです。

だから、表現者はその苦しみから早く逃れたくて答えを探すのでしょう。

しかし、常に矛盾した苦しい状態に自分を置かないと、どこかで必ず力尽きてしまいます。

主観だけでは観客はついてこないだろうし、客観のみで、自分を消して創作や活動を続けていると、何のためにやっているのか分からず、いずれエネルギーが尽きてしまうでしょう。

ですから、主観か客観かではなく、主観も客観も最大限にブーストさせて常に矛盾に迷い、苦しみながら創作し、活動することが大事なのだと僕は思うようになりました。

音楽にせよ文学にせよ、表現しているかぎり矛盾のない安定した状態は絶対にやってこないと分かれば、意外といろんなことがすっきりするような気がします。