申し分なく上手い演奏を聴いたにもかかわらず、どうも楽しめなかったり好きになれなかったとき、人は困惑します。
恐らく、音楽に詳しい人、楽器に親しんだ人ほどその困惑は強いはずです。
もしそういった感覚を抱き困惑したことがあるという方がいたら、あなたは既に技術論の信者となっているといえるでしょう。
上手い演奏を楽しめなかったことに困惑するということは、「上手い」=「いい」が前提となっているからです。
もしあなたの中で「上手い」と「いい」が別の概念としてきっちり分けられているのなら、『上手かった、でもよくなかった』の一言で済まされる話です。
『演奏は上手かった……なのに感動しなかった。これはどういうことだろう?』と悶々とするということは、既に「上手い演奏」=「いい音楽(のはず)」というロジックに飲み込まれている証拠です。
また、もう一つ言えることは、そういった方は音楽そのものを感性で楽しむ前に、演奏技術を吟味してしまっている可能性があります。
もし感性のまま聴いているのなら、「上手い」よりも先に「なんかいまいちだなー」と感じるはずです。
そうではなく、「上手いなー」が先にきて、その次に「なんかいまいち」が来る場合は、ざっくり言うと、ピュアに音楽と接することができていないのです。
本当は、上手さを認識する前に体が無条件に音楽の善し悪しを判断しているはずです。
音楽がいいかどうかって、最初の一音で理屈抜きで感じられますからね。
「上手い」演奏は、たしかに「凄い」です。
誰でも上手く弾けるわけではないので。
でも、それが「いい」かどうかはまた別です。
「上手い」と「いい」は完全に切り離された概念として認識しておくと、より純粋に音楽を楽しめるのではないかと思います。
もちろん、上手くてさらにいい演奏をするアーティストもいます。