ジャズギターは楽器の構造上、あるいはサウンドの性質上、どうしてもジャズの中心的な楽器にはなれないということをご説明しました。
しかし、なぜかギタリストは――ジャズに対する初期衝動もないのに――ジャズの世界で圧倒的な人口を占めています。
セッションに行けば半分ちかくギタリストだったということも珍しくありません。
そうして人が集まれば自然とグループが形成され、独特の排他的なノリが生まれます。
特に、ギターという楽器は、関連するデヴァイスが異常なほど多いため、話題に尽きることはありません。
楽器本体はもちろん、弦、ピック、エフェクター、ケーブル、アンプ……。
さらに、ギターは持ち運びも手軽で楽器としても高度な機能を備えているので(一人でソロも伴奏もできるという意味)、ギタリストが二人集まれば他の楽器がなくても音楽が成立します。
そうした状況は、「内輪ノリ」をどんどんと強固にしていきます。
特に日本人はどこでもそういった空気を形成する傾向が強いので、「日本人にジャズギター」は、内輪ノリを生み出す大きなファクターとなっていると言えそうです。
とはいえ、ギタリストしか分からないマニアックは話は僕も好きですし、ついつい他者の存在を忘れて没頭してしまうこともあります。
しかし一度そこから離れて俯瞰で見たとき、なんともいえない気持ち悪さを感じてしまいます。
これは、特定のグループとかお店に限ったことではなく、ジャズギター全体にいえることではないかと思います。
その内輪ノリのいい例が「ギターデュオ」です。
余談ですが、内輪ノリが膨らんで大きくなってくると、必ず権力闘争が起こります。
複数の有力者や野心家がグループの実権を握ろうと暗躍し、派閥をつくり、対立し、やがて内部から崩壊していきます。
内輪ノリは、規模の大小を問わず深く関わりあってもいいことはあまりないと僕は思います。
まあ、楽しいのはよくわかりますが。
学校でも会社でも、内輪ノリが過ぎるグループって、当人たちは楽しそうにしていても、外から見るとちょっと近寄りがたいし、「自分もあそこに入って一緒に楽しみたい」とはあまり思いませんよね。
そうではなく、いろんな人が出入りして、いろんな話をして、いろんな遊びをしているグループがあれば、客観的に見ても楽しそうだし、自分も仲間に入りたいと思うはずです。