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ギター教室 横浜 八幡謙介ギター教室講師のブログ

ギター講師八幡謙介のギター、音楽感をつづるブログ

タイムの認識とDTMの関係 ボーンDTM世代が陥りやすい偏った音楽認識について

やたらと厳しいタイム感

レッスンの現場やSNS等で、ここ数年、不自然なほどタイムに厳しい発言を聞くようになった気がします。

ふとそれらの意見を俯瞰してみると、ある共通点が見えてきました。

それは楽器の歴です。

ざっくり言うと、歴10年から15年程度の方に、タイムに関する歪ともいえるような厳しい意見――音楽のタイムが本来持つおおらかさを無視した――が多いことに気づかされます。

では、なぜ楽器歴10年から15年程度の方にそういった意見が多いのでしょうか?

 

DTMの台頭

それがDTMの台頭、一般化と密接に関係しているであろうと考えるまで、そう時間はかかりませんでした。

DTMが一般化されたのが、おおよそ2005年とされています。

そう、現在(2015年)からちょうど10年前です。

2015年現在において、歴10年未満のミュージシャン(プロアマ問わず)は、楽器をはじめると同時に、あるいは初めてから比較的早い段階で、PC上で音楽を取り扱ってきたはずです。

これをボーンDTM世代と呼びます(僕の造語)。

また、歴15年ぐらいの方も、やはり楽器歴の浅い段階でDTMを導入したことは間違いないので、2015年の時点で楽器歴15年未満の方をざっくりとボーンDTM世代と呼んでもいいでしょう。

では次に、ボーンDTM世代が不自然なまでにタイムに厳しくなってしまった理由を考察してみましょう。

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PC上で可視化される絶対的なタイム

旧来、タイムとはある種神秘的なものでした。

それはストイックな練習を経た後に、ようやく身体感覚として体感、体得することしかできないものでした。

また、そうしたタイム感、タイムの善し悪しの判断は、必ず人によってジャッジされるものでした。

当然、人によって善し悪しの判断は異なっており、言うなれば、タイムという概念は相対的なもの、人的要因に左右されるという意味で曖昧な(絶対的概念ではない)ものでした。

しかし、DTMの普及により、タイムは物理的、絶対的概念として認識され、しかも可視化されることとなりました。

時間はms(ミリセカンド:1000分の1秒)単位で厳格に区切られ、判別されるようになりました。

ここに、「唯一絶対のタイム(多少の誤差を含む)とそれ以外」という間違った価値観が生まれてきたのではないかと思います。

 

「唯一絶対のタイムとそれ以外」という考え

 冒頭の疑問に戻ります。

ボーンDTM世代と話していると、どうやら彼らがタイムを、「物理的に正確かどうか」という価値観でのみ判断していること、そして、その概念において正確でないものは全て「ズレている」=ダメ(下手)な演奏だと認識しているらしいと気づかされます。

具体的には、

 

・初期のDeep Purpuleはそれぞれの楽器がバラバラに弾いているように聞こえる、下手なのか?

・(ある音源を僕に聴かせて)この部分でほんの少しタイムがズレているが、これはダメな演奏ではないのか?なのになぜこのテイクで音源が出されているのか?

 

などといった質問を受けます。

こういったタイムに関する質問は、歴の浅い人からしかされせん。

また、楽器歴は浅くても、年齢を重ねた人からは、やはりそういった質問は出てきません。

 

タイムは絶対的概念ではない

 音楽にはジャンル固有のタイムというものが存在します。

ギターだけ相当突っ込んで弾いたり、ベースがレイドバックしたり。

そうすることでそのジャンルの固有のグルーヴやフィールが出るのです。

また、各楽器の演奏者が、絶対的なタイムを無視して、頑なに自分のタイムを固持することで、グルーヴに緊張感が生まれるという作用もあります。

それらを悪であるとし、タイムを物理的に均一化させてしまうとどうなるか?

上手いけど面白くない、なんだかそのジャンルっぽくないグルーヴができあがります。

ジャズでいうと、50年60年前の音源の方が、今の演奏よりもダイナミックに聞こえるのは、極論するとタイムが正確でないからです。

黎明期の演奏が現在のそれを凌駕するという現象は、どのジャンルにもいえることでしょう。

 

音楽的認識は、伝承されるものだった

まだタイムがフィジカルな概念だった時代、タイムや、その他の音楽的概念は先輩から後輩へと伝承されるものでした。

練習に練習を重ねて、やっとあることができるようになったら、「OK、じゃあこれやってみな」と、さらに高次元の概念を教わり途方に暮れたとか、あるアーティストについて「下手じゃないか」とうっかり口にしたところ、「お前が子供だから分かってないだけだ」と諭されたりからかわれた、といったことがいくらでもありました。

また、尊敬するミュージシャンのある人と別の人の言っていることが完全に矛盾していてわけがわからなくなった、ということも多々あります。

旧来、ミュージシャンを目指す若者は、そうやって「人」に揉まれながら音楽的認識を成長させていったものです。

しかし、ことタイムに関しては、現代では誰もが最初から絶対的概念を手軽に入手し、それと音楽を照らし合わせることができます。

早い段階からそうした概念を元に、つまり、DTMで物理的側面のみから音楽を学んでしまうと、音楽が本来持っている揺らぎや曖昧さ、そこから生まれる作用を理解できなくなってしまうのではないか、というのが僕の仮説です。

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音楽は人間がやるもの

DTMを活用した練習を今さら否定するつもりはありません。

僕が否定したところでどうにもならないでしょうし、便利なツールは使いようによっては武器になってくれます。

しかし、早い段階からコンピュータに全てを委ねるような姿勢で音楽を学ぶのは危険です。

今回ご説明したタイムのこと然り、サウンドやアーティキュレイション、音の響きなど、デスクトップでは分からないこと、コンピュータでは演算できないことが音楽には豊富に詰まっています。

ボーンDTM世代の方は、自分が音楽的認識をコンピュータに委ねてしまっていないか、一度見直してみることをお薦めします。

 

音楽は、人間が作り出し、人間が判断するものです。

そして、人間が「気持ちいい」「格好いい」と判断する音楽的な要素は、コンピュータでは演算できません。

ここを知るためには、音楽を通して人間と交わる以外方法はないでしょう。

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