自分は否定されて育った、だからこそ強くなれたとして、否定の論理で指導する親、先生、上司などは、僕より上(40代半ば以上)には相当多いです。
また、若い人でもまだまだそういった指導者は少なくないような気がします。
こうした否定の論理における指導には、実は卑怯なすり替えが潜んでいます。
それを明らかにすると共に、そこに潜んでいる複雑な精神構造に迫ってみたいと思います。
誰かを指導する際に否定しかしない、否定を前提とした指導をする人たちがなぜそういった指導法を取るのかというと、自分もそうやって親や教師、コーチなどに否定されてきたからです。
だからそれしか知らない、あるいはそういった指導法で自分がある程度成功したから同じことを行っている、といった理由が大半でしょう。
肯定的な指導を受けてきた人が否定的指導を行うというケースはあまり見たことがありません。
ないことはないのでしょうが。
そうして自分が指導者になった暁に、同じように否定的に指導するようになりました。
自分がそうやって指導されて強くなれた、結果が残せた、だから否定は正しい。
子供や生徒、選手もそうやって否定して成長させたい……。
実はここに指導者自身の自己肯定が潜んでいるのはお分かりでしょうか?
指導者は他者を否定することで、自分が否定して育てられたという過去を肯定しています。
あのつらい時期、あのきつい言葉、態度、あれらは正しかった、自分が受けてきたことは間違っていなかった……そう思いたいからこそ自分が同じ立場になったときにそれらを踏襲しているのです。
つまり、他者(子供、生徒など)には否定を浴びせつつも自分だけはちゃっかり自己肯定に酔っているわけです。
図にするとこうなります。
他人を否定する自分という構図(円の中)そのものを、もう一人の自分である「メタ自分」が肯定しているという仕組みになります。
そして、隠れた本体はこの「メタ自分」であり、彼だけはちゃっかり自己肯定しているのです。
問題は、こうした指導者のほとんどは隠れた自己肯定を認識せず、さも自分は否定に耐えてき、今も耐え続けている強い人間のように振るまうことです。
また、否定を受けている側や、それを見ている第三者も基本は上図の円の中しか見えず、否定の論理で指導する者のずるい自己肯定は認識できません。
否定の論理がある程度成立してしまうのはここに由来するのでしょう。
そもそも、否定がそんなに有効なら、他者を否定的に指導する自分にも否定の目を向けなくてはならないし、真っ先にそこの矛盾にぶつかるはずです。
しかし否定的指導者はなぜか自己否定をすっ飛ばし、上図のように「他者を否定的に指導する自分」は密かに全肯定します。
まあ恐らく自分は否定的指導を受けて一人前になって”上がった”からもう自分には否定は必要ないといったことを言うのでしょうが、それでは納得できません。
否定論者は、他者を隠れた自己肯定のための道具にする前に、まず自分の歪んだ承認欲求を認め、それをきちんと「否定」してみるべきでしょう。
そもそも否定であろうが肯定であろうが、それ自体に絶対的な価値はありません。
間違ったことは否定し、正しいことは肯定すればいいだけです。
どちらかに極端に偏ったり、どちらかを信念として尊重しすぎると、人格や人間関係、場が歪なものになっていきます。
ただ、他人を全肯定し、それをしている自分も肯定している方が論理矛盾がないという点ではやや健全なのかもしれませんが(もちろんそこにも問題はある)。
いちおう指導者として言っておきたいのは、否定と批判・ダメ出しは違います。
それぞれの違いは、
否定
根拠がない
理解できない
改善策に乏しいか、それがない
暴言・暴力を伴う
指導者に怒りの感情がある
他者への否定を全肯定している
批判・ダメ出し
根拠がある
理解できる
改善策が提示されている
暴言・暴力を伴わない
指導者に怒りの感情がない
自分の批判・ダメ出しにも批判的な目を向けている
指導を受けている側、特に若い子だと得てして建設的な批判やダメ出しに「否定された」と落ち込んだり恨んだりしてしまいがちですが、そこはしっかり見極める必要があります。
悔しいけど納得できる、指導者の中に怒りの感情は感じない、直すべきところは提示されているといった場合は真っ当な批判・ダメ出しなのでしっかり聞いておくと成長できるでしょう。
否定の論理における指導の怖さは、それが次世代に引き継がれ、連鎖することです。
虐待の連鎖と同じ構造なのでしょう。
自分の中にもそれはあったし、周りを見ても『あー悪いもの引き継いでんなー……』という人も沢山いました。
そもそもは自分より上の世代の否定論者がその上から引き継いできたものであり、何も考えなければそこから無意識に自分が否定の論理(とそこに隠れた自己肯定)を引き継いで、さらにそれを下の世代に渡すという最悪の連鎖が生まれます。
それを断ち切るためには、まず上図の隠れた自己肯定を認識する必要があります。
否定の重要性を説き、あるいは実践している自分自身が、実は隠れて自己肯定感に陶酔していることを知れば、普通の神経をしているなら恥ずかしくて継続はできなくなるでしょう。
あともう一つは、否定論者から離れることです。
僕も実際否定論者から距離を置いたことで上図の構造がやっと見えるようになり、否定=自己肯定だと認識できるようになりました。
その後、既に述べたような否定と批判・ダメ出しの違いをはっきりと分けるようになりました。
最後に、否定に潜む自己肯定はどんなに無自覚でも、どんなに隠しても必ずバレます。
なぜかというと、結果的にそういった人からは人が離れていくからです。
実際に指導力があるのに自己肯定を隠した否定を繰り返し、驚くほど人が離れていく指導者を何人も見てきたし、時々ニュースなんかで有名選手と指導者の決裂などが報じられるのも恐らくそこに近いものがあるのでしょう。
僕自身も昔は自己肯定を隠した否定論者だったと認識していますが、その頃はすぐに辞めていく生徒さんが多かったと記憶しています。
その後否定の論理に潜む自己肯定に気づき、それを改善していくと生徒さんの継続率は見違えるほど上がりました。
レッスンで批判・ダメ出しはしっかりしますが、それが僕の自己肯定のためではないということは伝わっているのでしょう。