マルグリット・ユルスナールの「黒の過程」を読了しました。
ユルスナールが描く、中世ヨーロッパを生きる錬金術師ゼノン(実在はしない)の生涯を追った歴史ファンタジー。
本作はユルスナールにしては珍しく三人称視点の文体で書かれてあります。
ユルスナールといえば主人公の心の奥の奥、無意識の領域まで入り込んた一人称対が有名ですが、三人称だとどうだろう?とやや不安を抱きながら読書開始。
すぐに予感は的中しました。
読みにくい!
人物を名前だけ出して何の描写もせずに動かしていくので、読者は人物が頭に描けずに物語を追っていかなくてはならず、最初は100ページぐらいで一度断念しました。
一回別の本を挟んで、今度は人物相関図をメモしながら読んでいくと初回の挫折ポイントは超えられました。
人物相関図はこちら。
読む人は参考にしてください。
ただしこの相関図も作品半ばぐらいであんまり意味なくなってきます。
後半は相関図なしでもそれなりに読めました。
人物はどうにか頭に入れても、文章が説明に次ぐ説明で全然頭に入ってきません。
普通三人称の小説だと、ナレーションによる説明をできるだけ避けるため、人物を動かしたり語らせたりして進めていくのですが、本作はとにかく簡素なナレーションだけでどんどん進んでいくので状況とか心理を頭に描く前に先に物語が進んでいきます。
恐らくユルスナールが頭良すぎて『これで分かるでしょ?』と書いているのでしょうね。
ただ、「東方綺譚」なんかを読むとわりと俗っぽい面白い小説も書ける人だと分かるので、「黒の過程」みたいなファンタジー作品なら通俗的な面白さを追求してもよかったのにな……と感じました。
天才の考えることはよく分かりません。
本作の醍醐味はなんといっても中世ヨーロッパのリアルな描写でしょう。
といっても僕はヨーロッパ史は全く知らないのでどこまでリアルかというのは語れませんが、作者あとがきでユルスナールが自分でネタ元を開示しているのを読むと、尋常ではないリアルさが理解できます。
まあそこはユルスナールなので当たり前っちゃ当たり前なのですが。
前半では「ミュンスターの反乱」が描かれていて、これって重要なのかなと調べてみました。
1532年からドイツ北部の都市で起こった再洗礼派の反乱だそうです。
基礎知識がないのでなんのこっちゃ分からず、読み進めていくと本筋とはあんまり関係なかったのですが、作中の描写と史実が恐ろしく一致していて驚きました。
その他、実際の都市の16世紀の風情、ちょっとした挿話、キリスト教史、実在の人物などなど、恐らく中世ヨーロッパに詳しい人が読むと面白いんでしょう。
ゼノンの最後の裁判も、実際の当時(16世紀)の裁判記録を参照したとか…
さて、肝心の錬金術について。
中盤以降、ゼノンが思索するシーンが長々と続きますが、これがまた読みにくく、全然面白くないので何が何だか分かりませんでした。
ただ、どうやら作者は錬金術を魔法とか超自然的な何かだとは考えておらず、賢者の石についても描写がありません。
どうやら作者は、錬金術とは人間が自身と世界を知り、それらを次の次元にまで押し上げる何かという風に捉えている感じがあり、ちょっとだけ東洋的な匂いも感じました。
東洋に対する偏見のないユルスナールらしい錬金術の解釈だと思われます。
ちなみに、実験したり、何かを精製するというシーンは全然ないので、そういったものを期待するとがっかりします。
我慢して我慢して、ようやく最終章「ゼノンの最期」で劇的なシーンが訪れ、『あ、ちゃんとこんなん用意してくれてんねや』とほっとしました。
そういえば「とどめの一撃」も恐ろしく読みにくい作品ですが、ちゃんと衝撃のラストが用意されていて、『最後の最後にちゃんと楽しませるからそこまで喰らいついてきなさい!』というユルスナールの叱責と優しさが垣間見えた気がしました。
そうして最終章でなんとなく錬金術についての答えが出て終了。
ものすごく疲れた読書でしたが、達成感はかなりのものがありました。
これに匹敵するのはドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」かトーマス・マン「魔の山」、他数作ぐらいしか存在しないでしょう。
本作を半分ぐらい過ぎたあたりから気になっていたのは、平野啓一郎氏のデビュー作「日蝕」との類似性です。
時代、人物、世界観、錬金術の解釈などなど結構似てるところがあり、かなり参考にされたのかなと思いました。
ただお話としては全然違うのでパクリとかそういう低次元な話ではありません。
「日蝕」と本作の類似を指摘している文章も、書評はもちろんネットレビューやSNSですら見たことがないので、僕がそう思っただけなのかもしれません。
平野氏が本作を読んでいるかどうかも知りませんし。
まあ中世ヨーロッパやキリスト教、錬金術などは日本人からすると遠い世界なので、参考資料として読んである程度取り込んでいたとしても別に不思議ではないでしょう。
そんな「黒の過程」ですが、ユルスナール文学に本気で向き合う気合いを持った人か、あるいは中世ヨーロッパを専門的に勉強したことのある人以外には一切おすすめしません。
それ以外の人はまず最後まで読めないでしょう。
あと、別にこれを一生読まなくても何も損になりません。
文学が読みたいならもっと分かりやすくてためになるものがいくらでもあります。
僕も残りの人生でもう一回読むかどうかは微妙なところですね。
とはいえ、本作を読了して、今さらながら自分の読書に自信がついた一冊でした。