八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

【横浜ギター教室】講師八幡謙介が横浜でのギターレッスンや音楽について綴るブログ。ジャズ多め。

自分と相手の実力が逆転すると急によそよそしくなる人はたぶん自己愛性パーソナリティ障害

サウンドハウス

自己愛性パーソナリティ障害についてあれこれ知識を入れたり考えたりしています(それらの記事は下記リンクから)。

その過程でふと思い出したことがありました。

自分に何の根拠もなくマウントをとってきた人間が、急によそよそしくなる現象です。

それについて書いておきます。

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マウントを取る人

何かに没頭したり勉強や習い事を始めたりすると、必ずマウントを取ってくる人がいます。

その中に一定数、何の根拠もないのに上に立とうとする人がいますよね?

そういった人は自己愛性パーソナリティ障害(以下NPD)の傾向が強いと考えられます。

NPDの特徴をざっと挙げておくと、

 

・自己愛が異常に強い

・その自己愛を守るために他者を攻撃(モラハラ、見下し等)

・外面がよく、能力が高い

・認知が歪んでいる(できないことをできると盲信)

・共感性が低い

・自分の非を認めない

 

こんな感じです。

何の根拠もなくマウントを取ってくる人は、認知を歪めて自己愛を守ろうとしていると考えていいと思います。

以下、実際の例を挙げてみましょう。

 

 

必死で足を引っ張ってくる”友達”

ギターについて本格的な勉強を始めてから少しすると、奇妙な出来事が起こり始めました。

ある”友達”がやたらと僕のやってることを否定するようになってきたのです。

ジャズを聴き始めると「お前にはまだ早い」、新しく知った海外の音楽を聴いていると「ダサい」、音符や譜面の勉強をしていると「調子に乗っている」などなど。

僕は音楽の勉強が楽しかったのでそいつの意見は不思議に思いつつも無視していました。

その後あまりにもひどくなってきたので、これでは友達とは言えないと思い、悩んだ末にその人を切りました。

今考えれば彼は僕が一生懸命になっている様子を見て、自己愛が脅かされ、それを守るために攻撃してきていたのでしょう。

切って正解でした。

できないのに馬鹿にしてくる人

アメリカ留学が決まって、僕は英語を習いはじめました。

するとそれを知ったある人が、なぜか超絶上からマウントを取ってくるようになりました。

行ったこともないアメリカについて教えてきたり、僕が習っていた英語の先生(日本人)の英語力について文句をつけたり、「お前英語でしゃべれるようになったか?」と小馬鹿にしてきたり……。

内心『この人そんな英語しゃべれたっけ?』と思いつつも、面倒くさいから無視してました。

後々分かったことですが、この人はある程度英語を勉強したにもかかわらず結局ものにできず、それがコンプレックスだったようで、その反動で僕を攻撃して、自分が英語を習得できなかったことで傷ついた自己愛を慰めていたようです。

 

 

立場逆転

10代から20代前半の頃は、なぜかは知りませんがこんな人がわらわら寄ってきました。

NPD的な人のターゲットになりやすい何かが出ていたのでしょう。

個人的には『めんどくさいなー』と思いながら、自分のやるべきことを淡々とやっていました。

それが花開きはじめたのは20代半ばぐらいからでしょうか。

今まで続けてきたことにはっきりとした結果が出せるようになってきました。

そして、ちょっとやそっとで足を引っ張れない、マウントを取れないと思われるようになると、ある現象が起こってきました。

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なんかよそよそしくなる人

以前何の根拠もなくマウントを取ってきた人が、ある時期からなんかよそよそしくなってきました。

以前あんなに英語でマウントを取ってきた人が、一切英語について話さなくなり、「俺は英語がしゃべれる」という根拠のない自慢をしなくなったり、ギターや音楽で無条件に僕を見下していた人が伺うような態度で接してきたり、あと、昔は僕にやたらと本を薦めてきた人間が(その本も全部イマイチだった)、僕が本を出すようになったら一切そんなことをしなくなったり。

NPDについて調べていると、彼らは自己愛を脅かす人には近づかない傾向があるそうです。

以前マウントを取ってきた人たちは、「どうやらこいつ(僕のこと)は本当に力をつけたらしい、今同じことをすると自分が返り討ちに遭うかもしれないぞ」と、もう以前のようにターゲットにできないことをNPDの嗅覚で感づいたのでしょう。

それでもどうしても近づいたり話さないといけないときは、どうにか自己愛を傷つけないように、過去のマウントどころか僕が何かを習得したこと自体をないものとしてシレっと接してきます。

それを話題に出してしまえば僕の努力を認めないといけなくなるし、そんなことをすれば自己愛が崩壊してしまう……

話題に出さなければ後はNPD独特の認知の歪みを利用して、全てをなかったことにできます。

そうして、あんなに無根拠にマウントを取ってきたトピックを、突然話題にすらしなくなったのでした。

全ては歪んだ自己愛のためです。

まあ、こちらは全部覚えているし、そのよそよそしさもちゃんと分かっていますが……。

 

こうした現象自体はしょうもないし哀れだなとしか思いませんが、ひとつ救いは、僕の中に『勝った!』とか『今度はこっちがマウントを取る番だ!』という考えが全く浮かばないことです。

もちろん復讐のようなこともしていません。

別にかっこつけたり自分をよく見せようと思って書いているのではありません。

僕はただ30年前も今もギターを弾き、音楽を聴き、本を読んでいるというだけです。

『悔しい』とか『やり返したい』という気持ちがあればそれを成し遂げた時点で燃え尽きているでしょうね。

そんなしょうもないことを原動力にしなくて本当によかったです。

そして今はもうNPD的な人は近づいてきません。

やっとNPDを寄せ付けない何かを見にまとうことができたのでしょう。

 

 

驚きの顔

個人的に、NPD系の人のマウント云々は昔も今もほっとけるのでいいんですが、ひとつ嫌なことがあります。

それは、NPDの人が認識を揺さぶられたときにする驚きの顔です。

一つ例をご紹介しましょう。

ある人は僕のことを心底アホだと思っていました。

その人がそう思っていることは僕も知っていました。

それ自体は『ふーん、こいつは俺のことをそう思ってるんだ』とだけ認識し、やはり悔しいとか見返してやるといった感情は特にありませんでした。

ただ、僕が「ギタリスト身体論」を出した後、その人が僕に対して見せた驚きの顔が今でも忘れられません。

その顔はこう言っていました、

 

お前が本を出したん? お前みたいなアホが? この自分にもできないことをよりにもよってお前が?? 理解できない……本当に自分で書いたのか? なんでこんなアホが本なんか出せたんだろう???

 

人は自分が完全に見下していた相手が自分より高い能力を持っていることを突きつけられたり、その能力で自分が出来ないことを成し遂げたと知ったとき、そういう驚きの顔をして固まります。

何度かそういう顔を見てきましたが、その都度『あーこの人は心の底から俺のことを見下してたんだ…』と思い、本当に嫌な気持ちになりました。

これは今でもトラウマだったりします。

NPDは相手にしないが一番

結論としては、よく言われるようにNPDは相手にしないのが一番です。

マウントを取られた悔しさからなにかを頑張ってもたぶん10年は続きません。

また、復讐したらしたで、今度は自分がNPD的な人間になっているのを知り、落ち込むだけです。

それに落ち込めないとしたら真性のNPDなのでもっとやばいです。

とはいえ、マウントや見下し、足を引っ張る行為などはうっとうしいしつまらないダメージを受けるので、そういう人とは距離を取って相手にしないのが一番です。

まあそいつらのことは一応覚えておいて、後々よそよそしくなったら『あ、認めたんだ…』と密かに思っておけばいいでしょう。

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