最近またフランス文学をもう少し読んでみようと思い、あれこれ調べてみるとサガンの「悲しみよこんにちは」を見つけたのでポチ。
タイトルはなんとなく知っていたけど、未読でした。
正直そこまで惹かれはしなかったんですが、短そうなのと、いくつかのレビューに「フランス文学入門」みたいに書いていたので読んでおくかと。
ちなみに僕は10代の頃に渋澤龍彦氏の著書からフランス文学に入ったので、サドやジャン・ジュネといった異端から入門してしまいました。
その後、デュマ、バルザック、ラディゲ、バタイユ、コクトー、モーパッサン、ボードレール、フローベール、ユルスナールなどを読んできました。
再読派なので数は多くないです。
そんな流れでサガンに到達したというと、フランス文学好きの人はニヤリとするかもしれません。
一言でいうと、なんか薄いなーという印象。
フランス文学の伝統的な心理描写は踏襲していて、少女の複雑な心の描き方は見事ですが、同時にフランス文学の裏の伝統(と勝手に自分で思っている)である変態性が全然足りない気がしました。
父と娘の関係性は退廃的ではありますが一線は越えないし、主人公のセシルが仇とするアンヌへの仕打ちも別にどこにでありそう。
ラストの展開はフランス映画でよくある内容で、『あー、このパターンね』となんか興ざめしました。
恐らく本作が雛形になって後に映画などに踏襲されていったんでしょうが。
読む前は『あまりにも少女趣味の作品だったらどうしよう?』と不安でしたが、そこまでではないものの、ユルスナールのマッチョさに比べるとやはり少女少女していて自分には合わない気がしました。
文体もバルザックやユルスナールのようなねっとりとまとわりつくまどろっこしいものではなく、妙にさっぱりしていて読みやすいけどなんかこれじゃない感がします。
海や太陽ととてもマッチした簡潔な文体で、時折ピリっと箴言が効いているんですが、なんかフランス文学っぽくない……。
その辺が入門と言われる所以なのでしょうか。
と、不満はやや残るものの、お話自体はとても面白く興味深かったです。
父と娘という関係性をここまで深く描写した作品は他にあまりないし、女性の心理の描き方も物語を書く人は必読といえるでしょう。
個人的にはセシルがまんまとアンヌを追い出すことに成功した瞬間、猛烈に後悔するところが驚きと納得でした。
男性作家がここで後悔を描くことは恐らく不可能でしょうね。
女性でも大人になってからはこの不条理は書けないのではないかと思います。
女性の書き方が分からなくなったらまたこの作品を読んでみようと思います。
面白かったけど、個人的にはそこまで響かない作品でした。
余談ですが、訳者は朝吹登水子で、朝吹真理子の叔母にあたるのかな?
僕がフランス文学入門に読んだジャン・ジュネの「泥棒日記」は登水子氏の兄三吉氏の翻訳でした。
真理子氏の「きことわ」も読んでいます。
なんか文学と向き合おうとしたときなぜか朝吹一族が現れるのは何かのご縁でしょうか?