八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

【横浜ギター教室】講師八幡謙介が横浜でのギターレッスンや音楽について綴るブログ。ジャズ多め。

tiktokの模倣文化はクリエイターに「安心」を与えたのか?

サウンドハウス

以前tiktokについて、「人間とはどこまでも怠惰な生き物であるという中国独特の人間観に基づいている」と書いたことがあります。

k-yahata.hatenablog.com

その後1年ほど経過し、さらにtiktokの存在感が増し、Youtubeのオワコン化が進んできました。

理由は色々考えられると思いますが、あんまり誰も指摘していないところだと、tiktokがクリエイターに与えた「安心」があると思います。

今回はこそれについて書いてみます。

模倣への免罪符としてのtiktok

かつてクリエイターにとって模倣とは罪でした。

クリエイターはオリジナルでなくてはならないというのは、クリエイターはもちろんそれを享受するリスナーや視聴者も含めた共通認識でした。

また、ネット登場以前も以後も、SNSや動画プラットフォーム登場以前も以後も、模倣は概ね悪とされ、非難・断罪されてきました。

しかしtiktokの存在がそれを打ち破ります。

tiktokでは模倣は悪どころかむしろ善として推奨されます。

オリジナルへのリスペクトはかつてほどありません。

今流行っていることを全力でパクるのがtiktokの作法であり楽しみ方です。

そこにクリエイティビティがないとは言いませんが、0→1の苦しみは少なくとも皆無といっていいでしょう。

tiktokはかつて悪であった模倣への免罪符を発行し、クリエイターはそれを盾にして堂々と模倣できるようになりました。

有名人や大御所アーティストが誰が作ったか分からない流行りのダンスをまんま模倣しても、それを「パクリだ」「オリジナリティがない」と糾弾する者はtiktokには一人もいません。

そうしてtiktokは、かつて悪であった模倣をひとつの文化まで押し上げることに成功しました。

 

 

クリエイターは「安心」したのでは?

そうしたtiktokに人々が飛びつくのは当然でしょう。

何も生み出さなくていい、堂々とパクってもいい、パクっても非難されない、しかもそれでワンチャン有名になれたり、承認欲求を満たすことができる!

普通、こうした風潮にクリエイターは警笛をならすはずですが、tiktokに限ってはクリエイター業界からの非難の声はあまり聞こえてきません。

なぜか?

僕はtiktokの模倣文化にクリエイターが安心したからだと推察します。

 

そもそも、0→1から生み出す創作行為はしんどいです。

これは僕も色々とやってきているので当事者としてそのしんどさは身にしみて分かります。

特にオリジナルになるという点でいうと、一生かけてもなれない人がほとんどです。

ほんの少し前まではそんな難しいことをデフォルトで要求されるのがクリエイターの常識でした。

もちろんこれは今も同じです。

しかし、突然tiktokとかいう既存のパッケージを全力でパクっても何も言われないツールが登場し、あのYoutubeを追い越す勢いで(実際も追い越した)世界中に広まりました。

0→1が当たり前、模倣は悪、オリジナルでなければ存在価値がないという過酷な世界で生きてきたクリエイターにとって、tiktokはオアシスに見えたのではないでしょうか?

命を削って何かを生み出そうとしているクリエイターが「大丈夫、何も産まなくてもいいんだよ」と囁かれたとき、一生かけてもなれるか分からないオリジナルになろうとしている表現者・発信者が「ここでは模倣してもいいんだよ」と肩を叩かれたとき、全身の力が抜けて思わずへたりこみ、心からの安らぎと安心を感じてしまうのではないでしょうか?

tiktokは創作という命がけの砂漠探検に突如現れたオアシスなのです。

そこではクリエイターですら永遠の乾きと疲労を忘れ、模倣の饗宴に酔いしれることができるのです。

もちろん、クリエイターはまたそこから灼熱の砂漠のどこかにある”オリジナリティ”を探すという決死の旅に出ないといけないのですが……

模倣が文化となった先にあるものは?

tiktokで模倣は文化に昇格しました。

ではその先にあるものは何でしょうか?

また、この模倣文化はtiktokの外にも波及するのでしょうか?

個人的にはその辺が気になります。

 

 

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