1986年
クリス・テイラー チャーリー・シーン
ゴードン・エリアス3等軍曹 ウィレム・デフォー
ボブ・バーンズ2等軍曹 トム・ベレンジャー
ビッグ・ハロルド フォレスト・ウィテカー
バニー ケヴィン・ディロン
レッド・オニール ジョン・C・マッギンリー
ラー フランチェスコ・クイン
ハリス大尉 デイル・ダイ
ガーター・ラーナー ジョニー・デップ
キング キース・デイヴィッド
ベトナム戦争に従軍した経験を持つオリバー・ストーン監督の本格ベトナム戦争映画。
「プラトーン」(platoon)とは英語で「小隊」のこと。
ベトナム戦争中のある小隊で起こった出来事を追っている。
白人大学生のクリスは、自分より貧しい家庭の若者が次々と軍隊に召集され、戦地に送り込まれていることに怒りを覚え、自ら大学を中退して軍に入隊する。
ちなみにベトナム戦争まではアメリカは徴兵制が敷かれていたが、大学生は卒業まで猶予が与えられていた。
白人で大学に行ける恵まれた家庭のお坊ちゃんがわざわざ中退して軍に入るというところがポイント。
本作はこうした性格のクリスのモノローグ中心に描かれるので、終始インテリの内省的な匂いが漂う。
この辺が受け付けない人も多いだろう。
また、作中には戦地での人種差別、裏切り、麻薬、民間人虐殺、レ○プ、放火など人間の醜い姿がこれでもかと描かれるので観ていてしんどい。
これらは監督が実際にベトナム戦争で体験したものだそうで、資料などでも語られている。
では本作はベトナム戦争を忠実に描写した戦争映画かというとそういった印象はあまり強くない。
ベトナム戦争は単なる設定でしかなく(それでも再現度は相当高いが)、本当の目的は極限状況に人間を置き、その本質をあぶり出すことにある。
そういった意味で本作はヒューマンドラマといっていいだろう。
派手なドンパチだけを期待するとがっかりする。
また、これは「フルメタル・ジャケット」にも見られるが、本作にはヒーローもいなければ救いもない。
アメリカ映画にしては非常に珍しいが、ことベトナム戦争においてはさすがのハリウッドも「ヒーロー」や「勝利」、「アメリカ(人)が世界を救う」といったお決まりの主題に収めることができないのだろう。
本作はアメリカにとってベトナム戦争がどういったものかを知る入り口ともなりそう。
一番の見所は、エリアス軍曹が撃たれるシーン。
ジャケットにも使われているやつ。
ネタバレになるので説明は避けるが、ここに人間の醜さがこれでもかと表れていて、絶句した。
あと『これがかの有名な…』と名所旧跡を見たような感慨すら起こったので、内容がつまんなくてもこのシーンだけは観ておこう。
ラストでクリスがヘリに乗り戦場から離れていくシーンで、手を挙げる仲間に敬礼をしかけて途中でやめ、そこからベトナム兵(民間人、ゲリラ)の死体が写されるのが印象的。
クリスは仲間に誇らしく敬礼することすらできず、一人涙を流す。
これがアメリカにおけるベトナム戦争の全てを象徴している気がする。
以下、クリスは自分の体験をこうまとめる。
「今から思うと、僕たちは自分自身と戦ったんだ。敵は自分の中にいた。僕の戦争は終わった。だけど思い出は一生残るだろう。エリアスとバーンズの反目はいつまでも続くだろう。時として僕は彼らの間の子のような気さえする。ともかく、生き残った僕らには義務がある。戦場で見たことを伝え、残された一生を努力して、人生を意義あるものにすることだ」
というモノローグで物語を閉じる。
「エリアスとバーンズの反目」とは、人間と人間の対立の象徴。
「僕は彼らの間の子のような気さえする」とは、自分の中にある善と悪のこと。
クリスはベトナム戦争を通して、自分が自分の理想とする人間ではないということを知った。
これは拡大解釈すれば、ベトナム戦争でアメリカ人はアメリカが理想のでないことを知ったということだろう。
しかし、まだ微かに残った理想のかけらと人間としての尊厳を大事にして生きていくことが「生き残った僕らの義務」だとする。
これは、これからのアメリカへの微かな希望と教訓。
これらを映像や演技ではなく、はっきり言葉にして説明いるところがアメリカ的ではあるが、善と悪、ヒーローと悪者という二元論から脱却し、そのさらに上にあるであろう価値観を模索しようとしているところに深い主題が見えてくる。
個人的には本作がベトナム戦争映画の頂点だと思う。