少し前にふと疲れを実感し、どうもこれは直近のものではなくかなり根深い疲れだなと感じられたので、必要な事以外は全部やめて休むことにしてみました。
幸いゴールデンウィーク前でもあったし、明けてからも5月は結構暇なので。
何もない日は極力何もしないことに決め、いざ休みはじめるといろんな事が分かってきました。
その辺を書いてみるので、中年の人は参考にしてみてください。
僕は昔からインプットを欠かさないようにしていました。
音楽と読書からのインプットはコンスタントに続けていて、それ以外もある時期は語学だったり、運動だったり、古文書の勉強だったり……
同時にアウトプットも主に音楽と執筆で行ってきました。
ある時期からそのインプット/アウトプットに余白がないままずーっと来ていたようです。
それでも昔はたまには遊びに行ったりダラダラした日を過ごしたりしていましたが、近年、特にコロナ渦になってからはそういった時間が極端に少なくなりました。
毎日毎日インプットとアウトプットの連続で休みがない、気が付けばそれが3年ぐらい続いていたようです。
意識して休むのは正月ぐらいです。
それでどんどん疲れが溜まっていったようです。
あと年齢もあるのでしょう。
ただ単に疲れているだけでなく、それに伴った症状もあります。
それぞれ軽いときや重いとき、全く感じないときなどもありますが、ざっと挙げると、
・不安
・焦燥感
・緊張感
・吐き気
・発汗
・寒気
などがあります。
文章にするとやたら重そうですが、常に全部出ているわけではなく、ランダムにどれかあるいは複数があらわれます。
ただし、全て体を暖めればすぐに消えます。
今考えれば、対処法を知っていることも休むという選択肢を遠ざける要因になっていたようです。
今回休んで気づいたことですが、僕はどうやらこうした疲れに対し、無意識に対処していたようです。
それは何かというと、無理矢理気持ちをONにして疲れを疲れで誤魔化すことです。
まず疲れている状態があって、休んでそれを治すというよりは、別のことをしてその疲れをごまかしたり、無理矢理忘れる感じです。
といってもそもそもが疲れているので気持ちが入らなかったり力が出ない、そこで無理矢理精神をONにして疲れていないことにします。
たぶん自分で交感神経優位にし、アドレナリンか何かを放出する方法を無意識のうちに編み出していたのでしょう。
なんとなく記憶をたどると教則本を書き始めた2008年頃からそういったことをしていたような気がします。
特に「ギタリスト身体論」を書いていたときはまだ名前を知られておらず、仕事もなく、『これが無理なら引退する』と本気で思っていたので、不安や焦燥感が酷かったし、同時に今考えてもめちゃくちゃ集中していた記憶があります。
幸い「ギタリスト身体論」は無名のいちギター講師が書いた本ながら好評を博し、僕もようやくギター講師としてやっていけそうな気がしてきました。
同時にそれは僕に、疲れを疲れで誤魔化すという悪習を植え付けていたようです。
この悪習によって幸か不幸か成功体験を得てしまったので、『疲れたぐらいで休んでる場合じゃない』という間違った認識が僕の心の奥底に芽生えたようです。
その後、2015年にフォーム研究の集大成としてピッキング研究を始めました。
ゴールは教則本を出版すること。
これは2021年12月に「ギタリスト身体論3」を出版することで終わりました。
スタートから実に6年、実りの多い作業でしたが、その苦労や色々なストレスは筆舌に尽くしがたく、このピッキング研究が僕の心と身体をボロボロに疲弊させました。
今まで燃え尽きたりうつになったことは一度もありませんが、この本を出版した直後は本当に燃え尽きそうになり自分でも怖かったです。
今考えたらピッキング研究を終えて燃え尽きておけばよかったのに、あろうことか僕はすぐに長編小説の執筆に取りかかりました。
たぶん2022年の1月か2月ぐらいです。
こちらは2023年3月に出版。
その後、4月ぐらいからさすがにちょっと休まないとやばいよなと思い始めました。
ゴールデンウィークあたりから休みはじめ、レッスンなど必要なこと以外では極力なにもしないようにしていました。
ただじっとして何も考えないようにしたり、暇になると何年も観ていなかった映画を観たり……
すると、身体の奥からドロドロした疲れが沸き起こってき、何もしていないのに呼吸が荒くなり、身体は鉛のように重くなるほど疲れを実感できるようになりました。
何かをしてそうなったわけではなく、休むことでそれが実感できたということは、これが元々僕の身体の中に溜まっていた疲れということでしょう。
丸二日ぐらいはただじっとして疲れを流していました。
そうすると、三日目ぐらいから明らかに疲れの量というか、重さや濃さが変わってきました。
最初よりは薄く、軽くなっています。
この段階からなかなか変わりませんが、やはり休むことで疲れが取れてきていることは実感しています。
恐らくこれは10年以上溜まった疲れなのでしょう。
だとしたらそう簡単には取れそうにありません。
こうなったらこの疲れが全部取れるまで可能な限り休もうと思っています。
これは僕のケースです。
僕はものを考えるとき、よく頭の中で実在あるいは架空の人物を出してきて会話のシミュレーションをしたり、行動させたりします。
小説を書くときなんかは常にそうしているし、誰かと込み入った話をする前にもその人を想像して会話のシミュレーションをしたりします。
教則本を書いていたときは、架空の読者を脳内でイメージし、その人が掲載する内容をどう読み、どう実践するかを入念に想像します。
休みに入ってからは意識してそれをしないでいたのですが、そうすると疲れの実感と回復が早く進んでいくことが体感できました。
どうやら想像をすると脳にかなりの不可がかかるらしいです。
場合によっては一日中何かを想像している日も普通にありましたが、それで疲れていたというのもあるみたいですね。
今後は何かを想像するときは短時間で、その後の休憩も含めて実践しようと思います。
今回休んで分かったことは、疲れは実感出来た方がいいということです。
疲れというのは変な性質があり、疲労が溜まると当然誰でも実感できるのですが、それが慢性化し、しかも本人が休息を拒否すると今度は実感し辛くなっていきます。
人間は、めちゃくちゃ疲れているのにどうにかして疲れてないことにできるようです。
僕もずっとそれでした。
そこから疲れてないふりをやめて休息に入ると、突然猛烈な疲れに襲われて苦しみましたが、それに抗うとまた元に戻ってしまうので放っておくと、とりあえず二日ぐらいでましになってきました。
ただ、疲れを実感している状態がずっと続いているとそれもストレスなので、時々脳がまた疲れていないことにしたがっているのを感じます。
そういうときは無意識のうちに何かを想像していることが多いようです。
でも想像するとまた疲れるので、今はイメージが湧いてきたら強制的に消すことにしています。
そうすると今は24時間疲れを実感するので辛いんですが、たぶんこれをしておかないと長年の疲れは取れないので我慢しています。
僕は元々かなり酒を飲む方でしたが、なぜか2023年正月にワイン一本空けた後、酒が飲みたくなくなりました。
そこから4月ぐらいまでビール一本すら飲んでいません。
そして、『そろそろちゃんと休んだ方がいいかな』と思い始めた4月末に、一度ビールとウイスキーを飲んでみました。
すると全身の血管が開き(イメージ)、身体がカッカして、頭がフル回転しはじめました。
そして、このとき理解しました『俺、これで疲れてたんや…』と。
昔は夕方になったらアルコールを入れては頭を覚醒させ、遊んだり音楽を聴いたり小説のプロットを想像したりしていました。
そこで脳にかかる負荷とアルコールのダメージが疲れとなって蓄積していったのでしょう。
正月から飲みたくなくなったのは身体からの警告でしょうね。
アルコールは4月に飲んだきりです。
正直、疲れるからよっぽどのとき以外は飲みたくないです。
休みに入ってから、ふと『疲れには生姜焼きだ!』と、生姜たっぷりの生姜焼きを作りました。
確かに、食べてすぐに疲れが吹っ飛び、生姜パワーすげー!と思ったのもつかの間、身体や脳の感じが何かに似ていることを悟りました。
そう、これってアルコールを入れたときと同じです。
血管が開いて脳が軽く興奮している感じがします。
疲れが取れたというよりは、一時的に意識を覚醒させて疲れを忘れさせているだけです。
飲んだことないけどエナジードリンクと同じでしょう。
生姜は一時的に体温だか意識だかをブーストさせているだけといった話も聞いたことがありますが、正にそれですね。
実際に生姜焼きを食べた翌日、疲れは一切取れていませんでした(というか、余計疲れた印象がある)。
ということで、生姜は改めて食べないリストに追加します。
ということで、十分休息を取るため、絶対必要ではないアウトプットはしばらく休止します。
「未来撃剣浪漫譚 Anthology2」は一度凍結。
公式LINEのメッセージもしばらく休止。
ブログは一応続けるけど前よりもゆったり書いていきます。
その他ちょこちょこやってたことも一旦休止。
レッスンは通常通り続けていきます。