結構前から筋力維持程度に筋トレをやってるんですが、ずっと悩んでいたことがありました。
それは、負荷と数のバランスです。
現代では筋トレは10回ぎりできるかどうかの負荷をかけてやるのがいいとされています。
しかし、それは正しいフォームをキープできてのこと。
フォームが崩れると負荷がかかる筋肉が変わったり、怪我をしたりします。
そのためにトレーナーが必須なのですが、トレーナーをつけるとお金がかかる。
そこまでのことではないのでトレーナーはつけずにやりたい……
そうすると負荷の強い筋トレはNGとなります。
実際やってみて怪我したことも何度もあるし。
で、比較的負荷を減らして回数を行うとします。
そうすると怪我はしなくなりますが、楽だからあんまり効果がなく、しかも回数を多くやらないといけないのでめんどくさい。
100回とかになるともう数えるのもめんどくさいし、やる前からうんざりしてしまいます。
で、ふとひらめいたことがあります。
「じゃあ数かぞえるのやめたら???」
早速そうしてみると、新たな発見がありました。
どうも人は数を想定すると、その数をこなせるよう最初から力をセーブするらしいです。
確かに、やたら数やってんのに全然筋肉痛にもならないし、筋肉がついた感じもしないのは、その回数をこなせるように体が勝手に調整していたのでしょう。
あと、数をかぞえることでわりと集中力を使ってしまい、フォームや筋肉に意識が向かないようになっていたことも分かりました。
そういえば数(小節数や拍など)をかぞえながら楽器を弾くのも結構負荷の高い行為ですしね。
ミュージシャンは小節や拍なんてかぞえて弾いていません。
そもそも、なんで10回とか100回とか決めないといけないんでしょう?
疲れるまでやって限界が来たら止めればいいはずです。
で、実際そうすると回数を想定していないからか、1回目からしっかり負荷がかかっているのが分かります。
また、数をかぞえないのでその負荷をちゃんと実感できています。
結果、回数は(たぶん)減ったのに筋肉痛になるという理想的な筋トレになりました。
また、日によってたぶん回数は違いますが、かぞえていないので回数が減ったことによるがっかり感もないし、逆に回数だけ増やそうとムキになることもありません。
と、そんなことをやっていると、数って何なの?という疑問が膨らんできました。
例えば、練習や勉強ってだいたい1時間単位でやりますよね?
なんで1時間なんでしょう。
別に40分でもいいし、68分でもいいはずです。
そもそも時間なんて決める必要はないはずですし、計っている必要もありません。
集中できている間は続けて、集中力が切れたらやめるというのでいいはずです。
じゃあ数って何なのか?
時間を数値化する意味は?
数とは社会的概念であり、他者と何かを共有するためのツールです。
それを計ることで、人は自分の行為を社会化しようとしているのでしょう。
スクワット100回やったよ、ギターの練習を3時間しているよ、受験勉強を5時間もしているよ……
その数字で何かを社会的に証明しようとしたり、マウントを取ったり、誰かを納得させようとします。
数は確かに社会的な価値を持ちますが、本質的にはほとんど無意味です。
スクワット100回が10回より価値が高いとは言えませんし、受験勉強毎日を5時間やったからといって合格できるとも限りません。
筋トレにせよ勉強や練習にせよ、社会性(自慢、証明etc)を排除し自分の能力向上だけを考えたとき、数字は何の意味もなくなるということがおぼろげながら分かってきました。