コミュ症という言葉があります。
今までこれを「コミュニケーションが苦手」「人見知り」程度に理解していたのですが、最近ふと見たネットの記事で認識を改めたので、個人的にコミュ症だと思う事例について書いておきます。
僕が思うコミュ症の定義は、<コミュニケーションにおいて相手に過度の負担をかけても平気な人>です。
負担をかけているのが分からない、分かっているけど改善できない、しようとしない人。
コミュニケーションスキルが低いのではなく、コミュニケーションにおいて著しく無責任な人が「コミュ症」だといえます。
会話を続けようとか、なんとかいい雰囲気にしようとあせって空回りする人はコミュ症ではありません。
コミュニケーションスキルが低いだけです。
以下、コミュ症の特徴。
ある記事に、コミュ症の特徴として「はい」と「そうですね」で話を済ませる人と書いてありました。
確かに、います。
何を言っても「はい」「そうですね」しか言わない人。
それをされると1秒でまたこっちがしゃべる番になるのでめちゃくちゃ疲れるんですが、そうやってこちらに負担をかけていることは全く理解していないようです。
また、一対一でそれなりにシリアスな話をする場面で「はい」「そうですね」しか言わないと相手に不信感を与えてしまいますが、それも分からない人がコミュ症です。
意見を訊くと石化する人がいます。
これもコミュ症ですね。
下を向いてただただじーっと黙ることで自分の責任を回避しようとする手法です。
こちらがしびれを切らして何かを言っても「はい」「そうですね」。
質問にも答えていないし、空気も重くしているんですが、本人は気づいていないか、気づいているけどそんなことより目の前の面倒を避けることしか考えていない。
分かりやすい例だとこれです。
ただ、敵対している人だけではなく、味方やチーム、目上の人にも平気でこれをやる人がいます。
ここで最低限対案が出せればぎりぎりコミュニケーションになり得るのですが、それが出せないのがコミュ症です。
全てを否定で返す人がチームに一人でもいると、間違いなく空気が崩壊していきます。
もちろんコミュ症にはそんなことは分かりません。
コミュ症は突然スイッチが入ったかのように話し出すことがあります。
『自分が突然しゃべったらみんな引くかな…』と想像する能力はありません。
普段拒絶するような態度だった自分がいきなり饒舌になったとき相手にどんな負担をかけるかを考えられないのがコミュ症です。
普段の返事だけの会話(?)や石化を見てきた周りの人間からすると、やっと○○さんが話するようになってくれた!距離を縮め仲良くなるチャンス到来!と、今までの分を取り返すつもりでコミュニケーションを図ります。
しかしそこはコミュ症、自分から会話を始めておいて、付き合ってもらっているのに相手を全否定したり、よく分からない自慢や妄想に付き合わせたりしてきます。
そして何かが気に入らなければまた返事だけになったり石化……。
この辺で『こいつ本格的にやべーな』と距離を置く人が続出します。
コミュ症はどうやら自分と相手の関係性が一般人より理解出来にくいようです。
どう考えても自分より能力のある人に対して上から話したり、否定したり、的外れな反論をする人が多いです。
また、対等だとしてもまだそれを言える関係性じゃないよというのも分からないようです。
『この関係性でこれを言って大丈夫かな』とビクビクしている人はコミュニケーションスキルが低いだけでコミュ症ではありません。
以前はコミュ症はスキルの問題だと思っていましたが、最近はどうも人間性の問題であるように思えてきました。
スキルのせいで相手に負担をかけてしまうというレベルではなく、相手に過度な負担をかけているのに気づけない、なんとも思わない、直す気がないという人のコミュニケーション、それが「コミュ症」です。
ということは、人間として根本的に変わらないとコミュ症は改善しないということでしょう。
若い頃は上記のようなことをやっていたけど、大人になるにつれ改善できたという人は多いと思いますが、それは人間として成長したのでコミュ症を克服したということだと思います。
僕にもいくつか思い当たる節があります。
コミュ症って結局本人が自覚するしかないんですよね。
指摘されて納得し、改善できるレベルではないので。
肝が冷えるような体験をし、心から自分が変わろうと思わないとたぶん変わりません。
そういえば過去に何度かコミュ症の人に指摘したことがありますが、全く響いていなくて心底めんどくさくなったことがあります。
他人からはこうして放置され距離を置かれるので、余計に自覚することが難しくなるのでしょう。