横浜のギター教室でフレーズのコピーを教えていると、ある段階で表現が課題となります。
例えばクラプトンのCross Roadsを弾いているとしましょう。
最初は指が追いつかなかったりピッキングが詰まったり空振りしたりしますが、フォームを整えていけばだんだん弾けるようになってきます。
ある程度弾けてくると、今度は「どう弾くか」という問題に移行します。
この「どう弾くか」に答えがないのが音楽であり芸術です。
一番手っ取り早いのが、オリジナルに寄せて弾くことです。
それだとお手本もあるし、お手本にどれだけ近づいているかという点で基準もあります。
ただ、音楽の不文律として自分らしい演奏をするべきだという考え方もあります。
そして、この「オリジナルに近い演奏」と「自分らしい演奏」に優劣をつける方法は存在しません。
そのことについてどこまでも考え、試していくのが面白いと感じるか、それとも今すぐ答えを欲するかで芸術に向いているかどうかが分かります。
前者は向いていますが、後者は向いていません。
様々な考え方、取り組み方、練習法に優劣がつかないことに耐えられない人は、たぶん芸術をやめてスポーツをするべきだと思います。
スポーツなら試合やレースで必ず優劣がつきます。
試合で勝てれば、それまでの取り組み方は正しいものだと認定されます。
もちろん環境が変われば通用しなくなることもありますが、それはそれで「通用しない」という答えが出ているということです。
その単純さ、明快さ(答えがはっきり出るという意味で)に没頭できる人は間違いなくスポーツ向きです。
そういう人は芸術をやるときっと病むのでやめといた方がいいでしょう。
とはいえ、スポーツ的に芸術に取り組む人もいて、その姿勢がその人の芸術として昇華することもあるので、芸術は本当によくわかりません。