「ギタリスト身体論3」を出して、改めて考えてみると世の中は動画文化まっただ中で、一瞬なんで自分が本なんてめんどくさいものを書いていたのかを忘れそうになります。
恐らく僕に興味ある人も、「なんでこの人は動画じゃなくて本を書くんだろう?」と思っているでしょう。
教室で生徒さんにはよく話していますが、「残る」ということを考えたとき、どうしてもデジタルだと不安になってしまいます。
例えば動画クリエイターが死んだ後、その動画はどう残っていくのか。
家族が管理するにしても、その家族も亡くなったり、あるいは管理を放棄したらどうなるのか?
また、YOUTUBEなどの動画プラットフォームが今後どうなっていくのか……。
日々恐ろしい勢いで増え続けるコンテンツをこの先どう管理し続けるのか、100年先も管理できるのかはまだ誰にも分かりません。
一方で、本は国家が積極的に保存するというシステムが存在します。
よく知られているように、出版された本は必ず国会図書館に保存されるので、日本がどうにかならない限り出版された本がこの世から完全に消滅するということは考えられません。
仮に僕の本が絶版となり、市場から消えてしまっても、国会図書館には必ず1冊残っています。
それを想像したとき、僕はとても安心した気持ちになれます。
ある程度世の中に何かを発表すると、今度はそれを残したいという欲が出てきます。
あるいは「残らないかもしれない」という不安が生まれます。
その欲求や不満を満たすためには、どうしても本という形式でないといけなかったから本にしたというのが正直なところです。
まあこれは作者のわがままですね…
読者からすれば動画のほうがいいに決まってますからね……
このように、僕の欲求は自分のピッキング理論を本にして残すということなので、それが完結した今、売れようが売れまいがどうでもいいという心境です。
もちろん売れて欲しいですが。
動画はずっと撮ってなかったんですが(半年に1本ぐらい出してた気がする)、今後はもうちょい出せるようにします。
といっても一発録りの撮って出しぐらいしかできないと思いますが。