僕は教則本のあとがきでいつも趣味に走る傾向があります。
これまでは平野啓一郎さんについて書いたり、李白の漢詩をしれっと掲載したり、自分の想いを吐露したりしてきました。
今回はおもいっきり趣味の文章を書いた箇所があります。
歴史への主体的アプローチと題した箇所で、
没後評価といえば打算的かつ若干のニヒリズムが漂ってくるが、歴史に対する主体的な創作態度は、決して自虐や厭世趣味に留まるものではあるまい。事実、そうした創作態度は私自身に勇気と忍耐力を与えてくれた。
という文章です。
趣味ですね~w
これ一読して意味わかる人はかなり読解力高いです。
本文にはこんなユルスナール風のめんどくさい文体は絶対に使いませんから……
どういう意味かというと、まず前提として、「自分が残したものが歴史になる可能性があるのなら、何かを作る際、偶然歴史に残ることを期待するのではなく、最初からそれを見越して創作した方がよくね?」という考えがあります。
といっても、自分で「これは歴史に残る傑作だ!」と自画自賛するだけではなく、長い長い時間に耐えうる強度を持った普遍的な何かを作るということです。
そして、自分が死んだ後にも残るものであってほしいと願いながら完成させます。
その願いに「打算」と「若干のニヒリズム」が漂ってしまうのは仕方ありません。
「若干のニヒリズム」とは、『これは俺が生きている間は評価されないかもしれない、しかし、死後に必ず本当の価値が理解され、評価されるだろう』というカッコつけのことです。
自分にそれがないとは言いません。
でも、そうした歴史に残ることを見越した創作態度は、『ちょw俺ニヒル気取ってキモッww』と自虐しているだけでもなく、『現世での評価は期待しない』『世俗の価値観には交わらない』という隠者や仙人を気取った厭世趣味でもありませんよ、ということです。
実際にそうした創作態度は、自分に勇気と忍耐力を与えてくれました。
まあ、あとがきぐらいはちょっとだけこんな風に趣味に走ってもいいかなと思います。
あと、今回は俳句も掲載しました。
それについては解説は控えるのでそれぞれで解釈してください。
*ギタリスト身体論3は電子書籍版もあります。