僕は公称15歳でギターをはじめたことにしています。
正確にはもう少し早かったと思いますが、数えやすいのでそうしてます。
今年で43歳なので、だいたい30年ぐらい弾いていることになります。
音楽界の慣習でいうとはじめてギャラを貰ったときからプロスタートになるので、プロになったのが21歳(アメリカで、地元プロデューサーのトラックにギターを入れて50ドル貰った)。
となるとプロ歴は22年になります。
そこから振り返って、何年続けた時点で意識や技術がどう変化してきたかを書いてみます。
ギターをはじめてから10年までは準備運動でしたね。
運動前のストレッチやアップみたいなもんです。
中にはいくつか、今やってることの種みたいなものもありますが、それも後に改良したり進化させてやっと使えるものになりました。
今考えれば10年なんてやってたうちに入りません。
準備運動が終わり、ようやく本格的に何かが芽生えてくる時期、自分の”芸”が見えてくる時期です。
僕の場合は身体操作やフォームなどに着目し、研究しはじめた頃ですね。
それが今でも僕の”芸”となっています。
ジャズについてもなんとなく輪郭が見えてきました。
ただ、この時期から根拠のない達成感や全能感が生まれてくるので、これには要注意です。
『もう全部知ってる、全部できる、やることがない』と勘違いしてしまうアレです。
もちろんこれはただの勘違いです。
胃の中の蛙とはまさにこのことです。
年齢でいうと、だいたい20代後半でこの病気になります。
これを克服しないと次に進めません。
一言でいうと、再構築の時期。
最大の敵は「謎の全能感」です。
自分なんて何もわかってない、何もできないということを再認識し、再スタートを切る準備をする時期です。
ここでしっかりと自分を戒めてくれる師匠、先輩がいれば安心です。
また、ここで社会に揉まれてきつい洗礼を受けておくと次に進めます。
僕の場合は師匠的な人もいてきつく批判され、社会からもいろいろな洗礼を受けたので、上手く自分を潰すことができました。
「ギタリスト身体論」刊行がちょうど15年目ぐらいで、その後教則本を次々発表していき名前が知られるようになったことで、社会の厳しさ、冷たさ、不条理もちゃんと体感することができました。
そうして自分を戒めることができ、次に進むことができるようになりました。
謎の万能感をちゃんと克服できたら、20年目ぐらいから何かが始まります。
この「何か」とは、誰かの真似ではない、自分だけの何かです。
僕の場合はちょうどピッキング研究をはじめたのが22年目ぐらいですね。
『ついにここまで到達した!』という間隔は皆無で、『やっと始まったか…』という感じです。
自分だけの何かが始まると、どこか神秘的な匂いが漂ってきます。
なんで自分はまだ続けていられるんだろう?
なんで自分がここまで来られたんだろう?
なんであいつは来られなかったんだろう?
その答えはどこにもありません。
自分より努力している人、才能がある人はいくらでもいます。
それでもどうしても継続できない人や、中には命を絶つ人もいて、自分はなぜか続けられている……
それはもう神秘でしかありません。
僕はこの頃から信心深くなり、神様に敬意を持つようになりました。
25年を過ぎると、もう自分の意思で弾いているのではなく、何かに弾かされている感覚、やらされている感覚になってきます。
といっても嫌々ではなく、かといって楽しくて仕方ないというわけでもなく。
もう辞めるだの続けるだのではなく、終わりの見えないトロッコにがっちりと固定され、ただ乗っかっている感じです。
そして振り返るとそのトロッコに乗れなかった人が大勢いて、励まされたり、何かを託されたり、あるいは石を投げられたり罵声を浴びせられたり……
それでもしゃーないから乗っているという感覚です。
同じトロッコに乗っている人を見ても、だいたい『やべー、乗っちまった、どうしよう…』という表情をしています。
ここにもやっぱり達成感はありません。
あえて言えば、『しゃーない』です。
ここまで来てしまったので、もう乗っかるしかありません。
ここから先はわかりません。
もしかしたら僕にももうすぐギタリストとしての終わりが来るのかもしれないし、あるいはまだ10年も20年も先があるのかもしれません。
まあここまで来たら自分が健康で、社会がまあまあ正常であれば続けてると思いますが。
とまあ、これは僕の感覚なので人によっては全然違うと思いますが。
30年もやってればいろいろあるってことです。