八幡謙介ギター・音楽教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介が音楽やギターについてつづるブログ

承認を求めて彷徨う承認ゾンビにならないために、根拠のない自信を持っておこう

根拠のない自信

よく「自信を持つことが大事」と言われます。

また、その自信に根拠がなくてもいいとも言われます。

長年このトピックについて考えてきましたが、現在では基本的に賛成です。

僕も、根拠のない自信は持っておいた方がいいと考えます。

ただ、その理由は少々込み入っています。

僕が自信を持つべきだとする理由は、自己実現やパフォーマンスの向上というよりは、承認欲求の無間地獄に落ちないためです。 

ちょっと長くなりますが、承認欲求の考察から、なぜ自信が必要なのかを考えてみましょう。

自信不要論の罠

根拠のない自信は持ったらダメとする自信不要論者がいます。

こちらの考え方をまとめると、

 

  • 根拠のない自信を持つと自分のレベルが分からなくなる
  • 他者との比較において自分を知れ
  • 他者と十分比較した上で根拠があれば自分に自信を持ってもよし

 

の3点になります。

自信を持ってしまうとそれが過信や怠慢につながる、自分のレベルを自己判断するのではなく、常に他者と比較して自分を客観視することで、力量や立ち位置を正確に把握でき、その後十分な根拠があれば自分に自信を持ってもいいよという考え方です。

確かに、そちらの方がロジカルですし、成長できそうな気がします。

というか、実際成長はします

ただ、心が病む可能性は非常に強いです。

自信不要論に潜む承認欲求
この自信不要論には、承認欲求が潜んでいます。
誰かに認めてほしくて、焦ったり不安になったりするアレです。
個人的には、心の奥に潜む承認欲求を隠すために虚勢を張った姿が自信不要論だと考えます。
 
  • 自分で自分を認めない
  • 根拠のない自信を持たない
  • 自ら他人と比較し、分析する客観性を持っている
  • 他人より劣った自分を受け止める用意がある
 
こうした自信不要論者の姿勢は、一見とても強く自立しているように思えますが、ここにどうしても他人の影が潜んでいます。
 
  • 自分で自分を認めない
  →他人がいないと自分の存在価値がわからない
  • 根拠のない自信を持たない
  →自信を持つために他人の承認が必要
  • 自ら他人と比較し、分析する客観性を持っている
  →常に自分と他人を比較しないと安心できない
  • 他人より劣った自分を受け止める用意がある
  →それを直して他人に勝ち、承認としたい
 
自信不要論者は、自己否定できる強い人間のようでいて、その実、承認欲求をこじらせた不安定な精神の持ち主なのです。
自信不要論から生まれる「誰が認めているか問題」
絶対的な自信を持つことを放棄し、常に他者との比較で自己を捉え、自信を持つための根拠を探そうとするとどうなるか?
必ず「誰が認めているか問題」が発生します。
「この人が認めてくれたら自分に自信を持つ根拠としてもいいだろう」という考え方です。
確かに、すごい人がいて、そのすごい人が「お前すごいよ」と認めてくれたら、客観的に見て自分はすごいんだと思っていいということになります。
また、自分から見てあんまりすごくないと感じる人がいたとして、その人をすごい人が認めていたら「すごい人があの人をすごいと言っているからきっとすごいんだろう」と考える、というのも同じです。
これ自体はそれなりに客観性を持った考え方といえなくもないですが、実はここに罠が潜んでいます。
それは承認欲求の性質をよく観察することで分かります。
承認欲求の罠

承認欲求というものは面白い性質を持っています。

我々はなんとなく、すごい人に認められたら心が満たされ、安心し、それ以降ゆるぎない自信を獲得できるとイメージします。

それは、自分だけが思う根拠のない自信よりも強く、客観的で壊れにくいものだと……

そして、その日を夢見て精進します。

しかし実際はそんなことはありません

ご存じのように、人間はすごい人にちゃんと認められても、世間から賞賛されても、世界一の称号を手に入れても、誰だか分からんアンチの一言ですぐに傷付き、苛立ち、不安になってしまいます。

『自分は誰々さんから認められている、ちゃんと結果を残している、だからこんなアンチの言うことなんか気にする必要はない…』と考えようとしてもどうしてもネガティブな発言が頭から消えない……

クソ!

こいつに自分を認めさせたい!

自分がすごい人から認められた存在だということをこいつに分からせたい!!

あんなにすごい人から認められたのに、結果をきっちり出したのに、なんでこんな匿名でしか意見を言えないしょうもない人間から認められないんだろう???

こういった気持ちになった人はすくなからずいると思います。

そう、承認欲求はその界隈の最上位の承認だけでは納まらず、全ての他者から認められるまで満たされることはありません

そして、それは不可能なのです。

承認欲求をこじらせると承認ゾンビ化する

自信不要論は必ず「誰が認めるか問題」に到達し、有力者に認められることがゴールだと誰もが想像します。

しかし、そのゴールは幻に過ぎません。

そこに到達すると、想像していたこととは裏腹に、なぜかまだ心が落ち着かない、ここまで来たのに自信が持てないという状態を発見します。

さらにこじらせると、もっとすごい人に認められたら、もっと多くの人に認められたら、もっと高い結果をだせたら……と、より強い承認を求めて彷徨う承認ゾンビになってしまいます。

しかし現実は、すごいAさんに認められても、もっとすごいBさんに認められても、もっともっとすごいCさんにまで認められても心の平穏や、本当の自信は得られないでしょう。

なぜなら、承認欲求とはそういうものだからです。

 

ここから主題を回収します。

いつまでも承認欲求を求めて彷徨い、どれだけ承認されても満足できない承認ゾンビにならないためにはどうすればいいか?

その答えが根拠のない自信を持つということです。

自信には他者が介在しない

自分が自分に対して与える根拠のない自信には、他者が介在しません

そのことが百害あって一利なしと捉えられがちですが、既に承認欲求の性質を見てきた我々からすると、根拠のない自信のメリットはもう理解しています。

根拠のない自信は、他者との永遠の比較や、得られるべくもない全ての人からの承認を求めるという無間地獄から救ってくれる装置として機能します

そうして、根拠のない自信で承認欲求という永遠に得られない幻を打ち払い、「認められたい」、「誰が自分を認めているか」といった価値観と異なる部分で他者や社会と関わっていく方が健全な心を保つことができるようになります。

これは自分の経験から言えることです。

根拠のない自信を持つ(自信を持つための根拠を探さない)ことで、自分を認めない人がいることにイライラしなくなるし、認めてくれる人やステータスを探さなくなります

また、自分に他人を介在させないことで、自分の中により深く潜ることができるようになりました。

これをやったら他人はどう思うか?認めてもらえるだろうか?嫌われたらどうしよう?気持ち悪いって思われたらどうしよう???

そういった考えも消えていくので、自分の芸によりピュアに向き合うことができます

ただし、だからといって全く人の意見を聞かなかったり、アドバイスを無視したり、客観的な視点を一切もたなくてもいいということではありません。

根拠のない自信は、あくまで承認欲求をこじらせないための装置です。

誰にも認めてもらえない、どころかアンチに誹謗中傷された、どうしよう、自分なんてなんの価値もないのでは?誰か自分を認めて欲しい!……と病んでしまったとき、『てか、俺/私すごくねw』と勝手に自分で思えたら、とりあえず精神は回復します。

もちろん現実はまだ何も変わりませんよ。

ただ、心が病んでしまっては何もできなくなるので、まずは心を落ち着けるために、根拠のない自信を持ち、勝手に自分はすごいと思っておきましょう

 

この辺の話はレッスンでもたまに依頼を受けてしているので、直接聞きたいという人は下記教室HPからご連絡ください。

通常レッスンとして受け付けます。

まとめ
  • 自信不要論

  「根拠のない自信」は勘違いしやすい。だから常に自分と他者を比較すべし!

  →実は承認欲求の裏返し。他人と比較しないと不安。

 

  • 承認欲求

  実力者に承認されても満足できない。

  →全ての人からの承認を求めて彷徨う承認ゾンビ化。

 

  • 根拠のない自信

  承認欲求を抑えるための装置。

  →心が落ち着く。

  ただし、勘違いや慢心の元になるのでそこは注意。

  

根拠のない自信は持ちつつも、対外的には謙虚に、勉強や努力は欠かさないことが重要。

サウンドハウス

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