何かを学び、オリジナルを目指す過程で絶対に必要なのは、自分を消すことです。
自分の意思、好き嫌い、(今持っている)個性、その他あらゆる”自分”を一度消さないと一人前にはなれません。
ではまず、自分を消さないとどうなるかを考えてみましょう。
自分の意思に従い、自分のやり方で、自分の好きなことをやるのは気持ちがいいものです。
一方で、何をするにも自分中心だと、自分という枠から出ることができません。
天才ならそれで結構です。
しかし凡人であれば……
自分が通用する範囲では何でも楽しく有意義に過ごせるでしょう。
しかし、自分が通用しない場面に出くわしたとき、そこで終了です。
それは意外と早くにやってきます。
しばらくは見ないふりをしてやり過ごすこともできるでしょう。
でもいつかは直面し、向かい合わないといけない日がきます。
しかしもうその時には自分から出られなくなってしまっている…
そんな例はいくらでもあります。
では、自分を消すとはどういうことでしょう?
これは単純に、人の意見を聞く、一度は取り入れてみるということです。
ただし、「ここは納得できるからやってみるけど、この部分は納得できないからやらない」ということではなく、一度全部人の言う通りにやってみます。
ただし、これは方法論であって、誰かに隷属するということではありません。
あくまで一度試しに100%人の言う通りにやってみる、ということです。
また、期間や取り組む内容を限定してもいいでしょう。
1年間だけこの先生の言う通りにやってみる、フォームだけはこの人の理論に従ってやってみる、などなど。
そうやって自分を消してみると、いろんな情報が入ってきます。
もちろん、その中にはいいものも悪いものもあります。
大事なのは、自分にないもの、自分一人では考えもつかなかったものが入ってくるという点です。
そうすると情報の海に溺れてしまいますが、別にそれで構いません。
一度は溺れておけばいいのです。
さて、自分を消していろんな情報を入手し、やがて情報過多でわけが分からなくなります。
当然、そこから情報を整理し、取捨選択しなくてはなりません。
そこではじめて自分を使います。
じゃあ最初から自分が情報を選んでも同じことだろと思うかもしれませんが、これが全然違います。
自分を消して入手した情報にはバイアスがかかっていません。
だからその時は理解できなくても後々役に立つ情報も混じっている可能性があります。
一方、自分が選んだ情報は概ね今の自分に都合のいいものばかりです。
本当は将来役に立つのに今の自分に分からないから捨ててしまうということが起こります。
だから一度自分を消して情報を集め、十分集まった後に自分で取捨選択するべきなのです。
自分を消して外からの指示や情報に従っていくと、自分が消えてなくなってしまうのではないかと心配する人もいるでしょう。
それは杞憂です。
自分をどれだけ消そうとしても、自分が消えてなくなるということはありません。
ひどい虐待を受けた後、自分が分からなくなったというのならまた別な話ですが、何かを目指して、その過程で方法論的に自分を消していき、最後に自分が消えてなくなるということは絶対にありません。
人間の本能や自我というものは、我々が思っているよりはるかにタフでしたたかです。
自分を見失いそうになると誰しも悩みはじめますが、そこで悩むということが自分であろうとしている証拠です。
だから方法論的に自分を消していき、それに悩むことは至って正常で健康的なことです。
あとは、極端に言えば時間が来れば本能が答えを見つけてくれます。
そこで取り戻した自分は、日本刀のように鍛え上げられた強い自分です。
ここで悲報です。
自分を消せるチャンスは20代で終了です。
30代に入ると相当難しくなります。
40代に突入するともう無理でしょう。
今20代で、一生涯何かの芸を磨きたいと思っている人は、30まで自分を消して我慢すれば、それ以降はたぶん楽になると思います。
ずっと自分でやっていくと30過ぎたらもう何も出てこない、何も入ってこないという状態になるので覚悟しておきましょう。