これまで、水野良樹氏の書くいきものがかりの歌詞の奥にあるずるさや都合の良さについて考察してきました。
それでも僕は、水野氏の歌詞を美しいと思います。
これは皮肉ではありません。
あのキラキラ感、まるで本当に存在するかのような主人公の躍動感、未来志向、おしつけがましくないポジティブさ、切なさ……
現代J-POP界において水野氏ほど上手い作詞家は数えるほどしかいないでしょう。
ただ、その美しさの奥にもやはり水野氏独特のずるさが潜んでいるので、最後にこれを書いて終わりにしたいと思います。
水野氏の書く歌詞の美しさは、行動の直前にある意志の美しさです。
なぜこれがずるいかというと、行動の直前の美は万人に平等に与えられたものであり、あまりにも手軽で、しかもそこで止めておけば、その先にある醜さへの責任を回避でき、永遠にキラキラしたところで終われるからです。
これだけでは分からないと思うので、身近なところで具体例を挙げてみましょう。
例えば、進学や就職で新しい生活をスタートするとします。
初登校(初出勤)の朝、玄関で靴を履いて「いってきます」とドアを開ける……誰にとっても間違いなく美しい瞬間でしょう。
これからキラキラした新しい日常が待っている、きっと素敵な出会いがあり、楽しいことややりがいのあることに満ちあふれている!
誰しもが一瞬ぐらいはそう思うはずです。
あるいは、「今日から毎日○○を続けるぞ!」と決意した瞬間でもいいです。
そうした瞬間とは、誰しもやる気に満ちあふれ、この先にきっと充実した理想の未来が待っていると予感しているでしょう。
もちろん、実際に行動した後の醜悪さ、しんどさを我々は知っています。
じゃあどうしたら美しいままでいられるのか……?
そう、行動しなければいいわけです。
水野氏はこの論理に気づいて、あえて主人公に希望や願望をさんざん言わせるだけで、行動させないのだろうと思われます。
これが水野氏の歌詞の美しさの正体です。
周知のように、これは相当に強力な力を放ちます。
僕のようなひねくれ者ですら一瞬そのキラキラの世界に完全に引きこまれたぐらいですから、一般リスナーはまるで夢の中にいるような心地よさを感じ、そこから出て来られないのだろうと想像します。
「音楽を聴いて夢心地になって何が悪いのか」と言われればそれまでですが、水野氏が作り出す夢の世界の構造を知っておくのも悪くはないと思います。
特にミュージシャン、作詞家の人は。
では、実際の歌詞から、主人公のアクションと取れる部分を抜粋して見てみましょう。
「君と笑えたら 夢をつなぎあえたなら 信じ合えるだろう 想いあえるだろう~」
→願望
「このいのちよ この一瞬よ 誰かの光になれ」
→希望
「強さを手にするより 弱さを越えたいんだよ」
→願望
「愛しあえるだろう つくりあえるだろう」
→願望
全体的に、「こうしたい、こうなるだろう、かくあれかし!」と言っているだけで、実際には何も行動していません。
例えば、「強さを手にするより 弱さを越えたい」という願望は美しいのですが、そのためにどんな行動をしたのか、どんな挫折があり、それをどう乗り越えたのかが全く描かれていない。
「泣きたいなんていわないよ」
→主人公の思い
「背中につぶやいた」
→ひとりごと
「もう少しだけって心で言った」
→相手には言ってない
「優しく照らす光に私はほらなれるかな」
→自問自答
「忘れられない時間をふたりでちゃんと作りたいんだ」
→願望
「今もう一度君に好きと言うよ」
→決意(未行動。ただし、過去には一度言ったよう)
「ずっと君のそばにいるから」
→決意(未行動)
ああしたいこうしたいという願望や、こうするぞ!という決意はあるけど、いずれも行動に移す手前で止まっています。
この曲の場合、心にキラリと光る想いが主題なのと、決意はするけど行動できないところが女の子っぽいので、これはこれでいいような気もします。
>「ありがとうって伝えたくて」「あいしてるって伝えたくて」
→願望
「今日だっていつか大切な瞬間(おもいで)」
→願望
「信じたこの道を確かめていくように 今 ゆっくりと歩いていこう」
→決意
「真っ白なこころに 描かれた未来を まだ書き足していくんだ」
→決意
「喜びも悲しみも 分かち合えるように」
→願望
いきものがかりの代表曲。
いきものがかりといえばこの「ありがとう」という印象が強いのですが、よく読めばこの主人公はびっくりするぐらい何一つ行動していません。
強いて言えば手をつないだぐらいで、後は全部こうしよう、こうしたいなという決意や願望です。
例えば、「喜びも悲しみも 分かち合えるよう」に、具体的にどうしていくのか、そのプランすら提示されていません。
行動計画やその実行がない分、なんとなく未来が希望に満ちあふれているような気がし、キラキラとしてくる……そのやり口がずるいです。
「かじかんだ指先で 夢を描いた」
→夢想
「孤独な夢へと歩く」
→行動と言えなくもないが具体性に欠ける
「共に過ごした日々を胸に抱いて 飛び立つよ 独りで未来(つぎ)の空へ」
→決意
「ありのままの弱さと 向き合う強さを つかみ僕ら初めて明日へと駆ける」
→決意
他の曲と比べてやや力強いメッセージ性のある歌詞ですが、やはり「○○するぞ!」という決意止まりで具体的な行動がありません。
「孤独な夢へと歩く」というのも行動としてはぼんやりしていますし、その先が見えてきません。
この曲も「ありがとう」同様、行動の直前の決意までを表現することで、なんかこの先どうにかなりそうな根拠のない力が湧いてくるところがミソでしょう。
じゃあその先の具体的な行動はどうすればいいか?
そこが提示されていないので、無責任な気がするのは僕だけでしょうか?
「RIDE ON今すぐあなたと 恋の旅へ逃げ出して」
→決意
「もう止まれないの」
→気持ち
「ふたりは気づいてる 戻れない」
→一方的な妄想
「もっと もっと 愛したい」
→願望
「あなたと越えたい LOVELY NIGT」
→願望
一見主人公は暴走気味に行動しているように思えて、実はああしたいこうしたいと望んでいるだけでほとんど何もしていません。
やはりおかげで、キラキラした印象が強くなっています。
冷静に考えれば人の男を奪おうとしてるヤバい女なんですが…
それを本当に実行した先にある修羅場まで責任を持って描いてほしいです。
「もう逃げないよと決めたその日から 僕らは大人へと変わる」
→妄想
「魂燃えている」
→状態(未行動)
「切り拓くよ 運命がほら きっときっと 燃えている」
→願望
「僕らは今英雄になる きっときっと」
→願望
この曲は、どちらかというとアーティスト本人(たち)が直接リスナーにメッセージを送っている印象です。
とはいえ、やはりここにも行動はありません。
行動の直前にある意志の普遍的な美しさを発見し、かたちにした水野氏は、独自の文学を持っているといってもいいでしょう。
しかし、既に述べたように、この美は脆弱です。
で、結局どうすんの?
綺麗事並べてるけどなんも行動してないよね?
現実がそんなキラキラしてるわけねーじゃん!
といった突っ込みへの耐性を持っていないからです。
また、前述した都合のいい女と何もしない男という裏主題も、近年になっても克服できていないように見受けられます。
純文学なら即やり玉に挙げられ、それらを克服するまで評価はおあずけとなるでしょう。
そういった意味では、大衆向けのポップソングを土俵としていることは僥倖だったのでしょう。
そこも含めて、やっぱりずるいなーと僕は思ってしまいます。
高尚な理想や願望を書くのなら、その先にある苦労や醜さにちゃんと向き合い、リスナーと一緒に苦しみ、そして何らかの答えを提示してもらいたい。
それが作品やリスナーに対しての責任だと僕は思います。
とはいえ、これは僕個人の勝手な解釈なので、リスナーは行動がない故の美しさに酔いしれるもよし、この記事を読んで「確かに!」と見方を変えるもよし。
それぞれが自分のスタンスで楽しめばいいと思います。
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