2010年5月発売
Sony Music Entertainment
作詞作曲:水野良樹
この「ありがとう」をさらっと聞くと、『大切な人に「ありがとう」と伝えよう!』というメッセージを歌っていると勘違いしてしまいますが、そういう曲ではありません。
「ありがとう」はあくまでキーワードであり、この曲の主題は「以心伝心」です。
本作品では、基本的にコミュニケーションが形をとる一歩手前までしか描かれていません。
そしてよく読めば、伝えたいことや思っていることはもう伝わっている、きっと伝わる、きっとわかり合える……というある種の理想論が描かれていると分かります。
普通、こういう主題は批判対象になりやすいのですが、曲がいいからか、あんまりそういう意見は聞こえてきません。
とにかく、「ありがとうって言おう!」という曲ではなく、「以心伝心」の曲であることを念頭に読み進めていきましょう。
“ありがとう”って伝えたくて あなたを見つめるけど
繋がれた右手は 誰よりも優しく
ほら この声を受けとめている
「ありがとう」と伝えようとした瞬間、主人公はもう相手にそれが伝わっていることを了解しました。
だから恐らく主人公は「ありがとう」と言っていません。
もうこの時点で「ありがとうを伝えよう!」という曲ではないということがバーンと提示されています。
ですから、この曲を聴いてありがとうを伝える曲だと思った人は、残念ながら何も理解できていないことになります。
むしろ、頭から「ありがとうは言わなくても大丈夫、気持ちだけで伝わってるよ」と真逆のことを言っています。
ちなみに「この声」とは心の声のことでしょう。
まぶしい朝に 苦笑いしてさ
あなたが窓を開ける
舞い込んだ未来が 始まりを教えて
またいつもの街へ出かけるよ
Aメロ1は二人の現状を描写しています。
まず時間は朝であることを確認しましょう。
次に、「あなたが窓を開け」ます。
主人公は当然それを見ています。
ということは、二人は既に同棲していると考えられます。
さらに、窓を開けたところ、「未来」が舞い込んでき、それが「はじまりを教え」てきます。
これをさらっと読むと、なんか綺麗な表現だなーぐらいで流してしまいますが、「はじまり」は二人の生活のはじまり、つまり結婚生活の始まりと考えるのが自然でしょう。
「未来」とはこれから二人に起こる出来事です。
でこぼこなまま 積み上げてきた
ふたりの淡い日々は
こぼれたひかりを 大事にあつめて
いま輝いているんだ
Aメロ2は回想です。
抽象的な表現ですが、要は「いろいろあったけどゴールインできたよ」ということです。
“あなたの夢”がいつからか “ふたりの夢”に変わっていた
今日だって いつか 大切な 瞬間(おもいで)
あおぞらも 泣き空も 晴れわたるように
Bメロも回想ですが、Aメロ2よりはもう少し現在に近づいていきます。
また、さっきよりは具体的な言葉が出てきます。
「あなたの夢」が「ふたりの夢」になるということは、二人が一緒になる、つまり結婚を意味します。
次がちょっと難しいのですが、「今日だって」の今日はなんでもない日のことでしょう。
あるいはちょっと嫌なことがあった日かもしれません。
そんなどうでもいい日もいつかは大切な思い出になるということです。
次もちょっと分かり辛いです。
まず「あおぞら」=いいこと、「泣き空」=悪いことというのはなんとなく分かると思います。
その次の「晴れわたるように」というのは、将来的に全部いい思い出になりますようにということでしょう。
余談ですが、「ハレ」とは日本古来からある節目の大切な日、儀式のことを指した言葉だそうです。
現代でも普通に使いますよね。
歌の流れとして、サビ前の「ハレ=晴れ」から「以心伝心」という主題につながっていくところが日本人の心をくすぐります。
2番の歌詞を読んでも、結局主人公は相手に何も伝えていません。
「分かち合う」「寄り添っていく」といったワードはありますが、何かを伝えた、ありがとうと言ったという描写はなく、最後まで「伝えたくて」で終わっています。
だからこの曲は何かを言葉にして伝えることの大切さを歌ったものではなく、言葉にする以前にある感謝の心や愛情が相手と共鳴したり以心伝心で伝わるよという歌だと解釈するのが妥当でしょう。
そう考えると、主題としては相当古いし、男性的です(作詞は男性メンバー)。
女性は言葉を欲しがるので。
教室のレッスンでお話したこともあるのですが、歌詞で一番やってはいけないことは、世界観を代表するキーワードより強いワードを出してくることです。
それをすると、せっかくのキーワードが印象から薄れてしまいます。
逆に言えば、キーワードより強いワードでも、印象を薄めるよう操作すれば使うことはできます。
“あいしてる”って伝えたくて
あなたに伝えたくて
かけがえのない手を あなたとのこれからを
わたしは 信じているから
「あいしてる」は単体で見ると「ありがとう」より強いワードになりますが、全体の流れの中で見ると、「ありがとう」が十分インパクトを残した後に使っているので、この「あいしてる」が「ありがとう」に勝っている印象はありません。
また、この後にもう一回「ありがとうって伝えたくて」が出てくるので、印象はやはり「ありがとう」の方に持っていかれます。
キーワードより強い言葉は、慎重に使うといいスパイスになるのでしょう。
歌詞も広義には文学作品といえます。
そして、文学作品には主題があります。
ひらたくいえば「作者が言いたいこと」です(国語の授業でやったアレ)。
やっかいなのは、主題は言葉として表面に出てこないことです。
だから作品世界にどんどん自分で入っていかないと掴めないのですが、それには訓練が要ります。
文字だけを追っていると、本作なら「ありがとう」という強いキーワードに持っていかれて、『そうか、この曲はありがとうを伝える曲なんだ!』と早とちりしてしまいます。
もちろんそういう誤読も文学の醍醐味ではあるのですが、せっかくならもっと作品世界に深くダイブし、作者の心にちょっとでもタッチしてみたいですよね?
また、作詞をする人なら主題を持って書けるかどうかで詩の深みが全然違ってきます。
歌詞に興味がある人はその辺も考えながら読むようにしてみましょう。