与作は木を切る
ヘイヘイホー
こだまは返るよ
ヘイヘイホー
女房ははたを織る
トントントン
気立てのいい子だよ
トントントン
与作与作
もう日が暮れる
与作与作
女房が呼んでいる
今回は歌詞と視点について考えてみたいと思います。
視点とは、大きく分けると一人称か三人称か。
別の言い方をすれば、その歌は誰目線で歌われているのか、です。
ややこしいのは、その歌にはっきりと主人公がいたとしても、必ずしもその主人公が歌っているとは限らないということです。
ここをしっかりと把握することで、その歌詞の世界が一段階クリアになります。
「与作」を聴いて『これは与作の歌だ! だから与作の気持ちになって歌えばいいんだ!』と考える人はまだまだ詩(文章)を読むセンスが足りません。
一行目を読んでみましょう。
与作は木を切る
ここで既にふたつの情報が出ています。
- 主人公は与作(らしい)
- 視点は三人称
ど頭から「与作は~」とあるので、たぶんこの人が主人公なんだろうなと皆思います。
それは正しいです。
しかし、だからといって与作がこの歌を歌っていると考えると論理が破綻します。
そもそも与作自身が『与作は木を切る』と言うのはおかしいですよね?
もちろん、自分を名前呼びすることもできますが、この場合は考えにくいです。
ということは、与作を見ている誰かが存在することが分かります。
つまり「与作」は、与作の生活を眺めている第三者が歌っていると考えるのが自然です。
もう少し進むと
与作与作 もう日が暮れる
とあります。
ここも明らかに三人称ですよね。
自分でこんなことは絶対に言いません。
上記のことから、「与作」を与作(主人公)になって歌うのは間違いだとわかります。
もし与作になって歌っている人がいたら、歌詞が全く理解できていません。
「与作」は、与作と妻の生活を観察している誰かになって歌わないと成立しないのです。
サブちゃんは明らかにそう歌っています。
サブちゃんが与作に見えるのではなく、サブちゃんの肩越しに与作が見えてくる歌になっています。
今回は分かりやすい例として「与作」をとりあげましたが、歌詞と視点には無数のバリエーションが存在します。
歌詞に主人公がいるだけで安易に主人公の気持ちで歌うのではなく、視点をよくよく探ってみるとより歌詞の世界に深く入っていくことができます。
ちなみに、歌詞の読み込みが深まっただけで、一瞬で歌が変わります。
これが実際試してみた結果です。
歌手を目指す人はヴォイトレも大事かもしれませんが、それよりも歌詞を深く読み込む能力を磨いた方がよりいい歌が歌えるようになるというのが僕の持論です。