僕はよく視点が独特だと言われます。
そこに興味を持ってもらえたり、あるいは反発されたりといろんなリアクションがあります。
さて、僕がそうした独自の視点をどうやって獲得したのかというと、これははっきりしています。
文学を読むことです。
ではなぜ文学を読むと自分だけの視点が得られるのか?
答えは簡単です。
文学というものは、自分だけの視点を持たないと理解できないからです。
同じ小説でも、エンタメは違います。
エンタメとは、キャラクターや話の筋を楽しむものです。
「誰々君格好いい!」「○○ちゃん萌え!」とキャラを推したり、話の筋を追いかけてワクワクドキドキする、それがエンタメ作品の楽しみ方です。
一方、文学は純度の濃いものほどそれができないつくりになっています。
人物もそれほど魅力を感じないし、話の筋を追っているだけでは何が何だかわからない、そういうものがかなり多いです。
もちろんエンタメ性と文学性が見事に融合した作品もありますが。
文学を読む場合、主題とメタファー(寓喩)を自分なりに読み解く能力が必要となります。
例えば三島由紀夫の「金閣寺」で考えてみましょう。
キャラとお話だけで読むと、どもりの非リア充僧侶見習いが人格をこじらせて金閣寺を燃やしたというだけの内容です。
しかしそこから、タイトルともなっている「金閣寺」は何の象徴なのか? 作者はこのお話で何を言いたかったのか?
と考えていくとこの作品が単なる金閣寺を燃やすお話ではなく、その奥になにか意味があることが見えてきます。
文学作品を読む際、必ずこうした作業が必要となります。
特に日本文学はお話としての面白さや大団円を捨てて文学性をつかみに行くという習性があるので。
めんどくさいのですが、続けていると作品に対する自分の視点や考えが芽生えてきます。
また、それらは時間と共に変化し、鍛えられていきます。
それらが積もり積もって、やがて自分だけの視点になっていくのでしょう。
といっても僕は最初からそれを期待していたわけではなく、単に興味があったから文学を読んできただけですが。
今思えばラッキーでした。
これを読んで、「自分だけの視点は欲しいけど、文学読まないといけないのかー」とうんざりしている人に朗報です。
現代では文学性のあるアニメや漫画が増えています。
僕が知っている範囲であれば、「AKIRA」「オネアミスの翼」「進撃の巨人」「新世紀エヴァンゲリオン」「クズの本懐」「攻殻機動隊」「魔法少女まどか☆マギカ」あたりでしょうか。
主題とメタファーという観点で言うと「AKIRA」が最適です。
作者が言いたいことは何か、AKIRAとは何のメタファーか? ということを自分なりに考え、自分だけの答えを出してみましょう。
「クズの本懐」や「進撃の巨人」などは、各人物の心の細やかな動きや、選択などについて自分なりに考えてみると面白いと思います。
リヴァイがエルヴィンではなくアルミンを生かしたのは本当に正しかったのか? 自分ならどうするか?
などなど。
そういうことをずーっとやっているとやがて自分だけの視点が形成されます。
といっても、最低でも10年ぐらいかかると思いますが。
若い内に本を読めとよく言われますが、そこから何かを抽出するのに膨大な時間がかかるから若いうちから始めとけってことなのでしょう。
僕はそこまで活字にこだわっている人間ではありませんが、若いうちに「これ!」という自分の宿題となる作品(漫画、アニメでも可)を決めておき、とにかくそれに対して自分なりの答えが出るまで考え続けるということが大事だと思います。