僕はこれまでいろんな形で本を書いてきました。
教則本、小説、エッセイ的なもの……。
人から見たらさぞかし文章を書くのが好き、本を書くのが好きなんだと思うかもしれませんが、正直そこまで好きでもありません。
なぜなら、めんどくさいからです。
世の中にこれほどめんどくさい作業があるのかとしみじみ思うほどめんどくさいです。
じゃあ嫌々書いているのかというとそうでもないのですが、とにかく、ワクワクドキドキ楽しみながら書いているわけではありません。
地獄のような表情でぶつくさ文句を言いながら毎日書いています。
ただ、久々に教則本を書いていて、そうじゃないとダメだということを
再確認しました。
仮に本を書いていて、めんどくさくないとしましょう。
するとその人は「好き」の範疇でしか書いていないことになります。
その人の「好き」がたまたま万人の「好き」と合致していたらいいのですが、だいたいそんなことはありません。
だから、楽しんで書いているうちは他人に届く何かは創作できません。
音楽でもイラストでもだいたいそうでしょう。
「めんどくさい」という感覚は、一見怠慢なように見えますが、自分の「好き」を越えた仕事をしている証拠でもあります。
自分はこの程度にしておきたい、そしたら楽しんで創作できるのに……でもそのレベルなら人に届かない、感動させられない、納得してもらえない……それを知っているから「好き」の範疇を越えた「めんどくさい」領域に入っていくのです。
そして、毎日毎日ぼやきながらも手を抜かずに最後までやります。
そういえば宮崎駿氏もドキュメンタリーで『めんどくさい』『こんなものは地獄だ』『ひとつも楽しくない』と、視聴者の夢を打ち砕くようなぼやきを連発していました。
「好き」の前に「めんどくさい」がある人は創作なんてやらないでしょう。
それはそれで正解です。
ただ、「好き」の範疇だけで創作をやっていてもたぶん上手くいきません。
大事なのは「好き」をつきつめたところにある「めんどくさい」にちゃんと到達し、そこに到達し続けることです。