僕は留学していた頃からジャズと日本人の関係性をずっと考えてき、近年はこのブログで発表してきました。
ここ数年でジャズの生徒さんが増えてき、いろんな人にジャズを教えるようになって改めて分かってきたことは、小節をまたぐのは日本人には相当難しいということです。
フレーズが小節の中にピタっと収まっていると、ジャズになりません。
他の音楽でもそういった要素はありますが、ジャズが最もそれが顕著でしょう。
じゃあ小節をまたぐようにフレーズを作ればいいだけだと思うかもしれませんが、これがかなりやっかいなのです。
なぜなら、日本人は決められた範囲にぴたっと収めることに、本能的に安心を感じるからです。
例えば電車。
我々は、電車が時間ぴったりに到着し、決められた位置にドアがぴったりと合わさることに本能的な安心感を覚えます。
時間が数分、ドアの位置が数メートルずれただけでニュースになるほど大騒ぎします。
こんなことはほとんど日本でしか起こりません。
その他日常の細々したところにも、決められた枠内にぴたっと収め、安心するという事例はいくらでもあるでしょう。
昨今人気のコンマリさんは、この日本人の習性(収納、お片付け)をアメリカで紹介し、驚きと共に爆発的な人気を得ました。
いかにアメリカ人が日本人と感覚が違うかを証明する現象です。
そういったアメリカ人と全く違う感覚を持っている我々が、いざアドリブをはじめると、当然決められた区画=小節の中にぴたっとフレーズを収めようとしてしまいます。
僕も最初はそうでしたし、僕が見てきた生徒さんもほぼ間違いなくこの感覚を持っています。
そして、皆小節をまたぐことに苦心します。
小節をまたぐとは、日本人が本能的に持っている安心感や美意識をあえて壊す行為に他なりません。
極端に言えば、文化的ジサツといってもいいでしょう。
だから最初からできなくて当たり前だし、苦労して当たり前です。
ジャズを習得するためには、こうした行為を何度も繰り返さなくてはなりません。
だからジャズは我々日本人にとって難しいのです。
ジャズを演奏するためにはこうした文化の違いを乗り越える必要があるため、僕はジャズの習得には必ず文化的な側面も同時に勉強するべきだと考えます。
ただ単に「ジャズは小節をまたぐようにフレーズを弾くものだ」と記号の扱い方を説明され、はいそうですかとできるものではありません。
それはもう嫌というほどできない人を見てきたし、そうやって記号の扱い方だけを説明しても生徒さんはできるようになりません。
たかが小節ですが、そこに潜んでいる文化の違いまで掘り下げると、ジャズに対する理解は一気に深まります。
そして、そこから小節をまたげる人がちらほらと出てきます。
こういったことをレッスンで行っていけばいくほど、音楽は単なる記号ではないと再確認することができて楽しいです。