各楽器にはひとまず正しいとされているフォームがあります。
この「ひとまず」はウン100年かけてのひとまずもあれば、ウン10年でのひとまずもあります。
いずれにせよ、現時点で比較的多くの人、あるいは指導的立場の人が正しいと言うフォームです。
この「ひとまず正しい」からこぼれる人は一定数存在します。
教室で習ったフォームで練習していると腕が痛くなった、正しいことをやっているはずなのに全然上達しない、イメージした音が出ない……。
そうした不具合が起こった場合、その正しいフォームはその人にとっては正しくありません。
だから今すぐフォームを変えるべきです。
と言葉にすると当たり前ですが、いざ自分が当事者になるとかなりの負荷がかかってしまいます。
まず今誰かに習っているとしたら、その先生の教えに逆らわないといけません。
これは日本人にとってはかなりの労力であり、精神的プレッシャーとなります。
仮に教室をすんなり辞められたとしても、そこから先、自分は大多数のみんなと違うフォームで楽器を弾いていかなくてはならないので、これもかなりのプレッシャーとなります。
こういう場合、変に罪悪感を感じる必要はありません。
めいっぱい自己中心的に、自分本位に考えましょう。
自分の楽器の常識や、そこにある歴史が全部間違っている!
そう考えて構いません。
なぜなら、そうしないと本当に腕が壊れたり、楽器が思うように上達しなくて辞めてしまうかもしれないからです。
実際にいろんな楽器の身体操作を教えていて、楽器の伝統的なフォームや運動理論なんてものはたいして信用ならないということがだんだん分かってきました。
ウン100年の伝統のある楽器でも、意外と身体操作の初歩的な概念すらなかったりします。
エレキギターに関しては基礎すら存在しませんでした。
僕が書いた「ギタリスト身体論」は、エレキギターの伝統的な考え方や奏法を否定し、ある意味自己中心的にギターのフォームを捉え直したものです(もちろんそこに普遍性を見いだすようにはしていますが、伝統や慣習を盲信しないという意味で)。
みんなと同じフォームで不具合が生じたとき、それがいかに伝統的な、スタンダードなフォームだったとしても、自分にとっては間違ったフォームです。
そのことをまず強く自覚し、(自分にとって)間違っていることはすぐに捨て、正しいフォームを探すべきです。
自分でどうにもできない場合は、できるだけ自分に寄り添ってくれる指導者を探しましょう。
楽器の伝統や慣習に寄り添う人だと、結局また「正しい」(自分にとって間違っている)フォームをすり込まれてしまうので。