ジャズのアドリブがある程度できるようになってくると、必ず「より沢山の音数で、より多彩なフレーズ を弾かなくてはならない」という強迫観念にかられます。
そうして気がつけば休符がなく、音数だけやたら多いけど脈略がないソロになってしまい、またそうしないと不安なので音を減らすことができなくなります。
ではなぜそうなってしまうのでしょうか?
そもそも、より沢山の音数でより多彩なフレーズをというソロは、コルトレーンのスタイル「シーツ・オブ・サウンド」がルーツでしょう。
コルトレーンがこのスタイルを確立し、それがあまりにも強い説得力を持っていたことから、後進がどんどんと真似していき、いつしかサックスのみならずピアノもギターも「シーツ・オブ・サウンド」を目指すようになってしまい、気がつけばこれがジャズの総意であると皆が勘違いしてしまうようになったのでしょう。
だから誰もが無意識にそこを目指してしまい、フレーズで間を埋め尽くせないと自分が劣っていると感じ、焦ってより沢山のフレーズを弾こうとしてしまいます。
まず「シーツ・オブ・サウンド」はジョン・コルトレーンという一人のジャズミュージシャンのスタイルであり、ジャズの総意でもなければ必ず目指すべきものでもないということをはっきり認識しましょう。
もちろん、そこを認識した上で目指したいなら別ですが、コルトレーンは好きだけど別に目指してはいないよって人は、「シーツ・オブ・サウンド」という概念も捨てるべきでしょう。
そうすれば一気に気持ちが楽になり、間を大事にする演奏にどこか後ろめたさを感じなくなってきます。
ギターならペンタ一発のスタイルでも堂々と演奏できるようになります。
より多く、より多彩にがジャズの総意だと考えるからアドリブが苦しくなるのです。
そうではなく、それ(シーツ・オブ・サウンド)はコルトレーンという単なる一個人のスタイルだと認識することにより、視野が広がり、スタイルの取捨選択が可能となってきます。
ちなみに、僕はひとつのフレーズを責任を持って使い切るというスタイルを重視しています。
もちろんこれはこれでひとつの伝統的なスタイルであり、絶対ではありません。
その辺のことが知りたい人は下記教則本をどうぞ。