泥酔して女性を暴行し、逮捕されたAAAの浦田直也氏。
釈放された直後に記者会見を開きましたが、その内容が不評を買っています。
「ヘラヘラしている」「悪いと思っていない」「心から謝っているように見えない」などなど、ネットもTVも辛辣な意見が多いようです。
僕も少しだけ見て、これは謝罪パフォーマンスだと思いました。
本来、特別な訓練などを積まなくても人には人の本心が見えます。
それも、「ここがこうなっているから本心ではない」といったテクニックによるものではなく、見た瞬間直感できるものです。
もちろん「なんでわかるの? あなたには人の心が読めるの?」と問い詰められれば「やっぱ勘違いかも…」と不安になってしまいますが、概ね直感(考えず、間髪を入れずに感じたこと)は当たっているケースが多いでしょう。
実はこれ、音楽も同じなんです。
僕はよく歌に対して歌詞と歌い手の関係性を述べたりします。
歌に中身がない(歌詞が理解できていない、自分のものになっていない)、歌い手と歌詞が合っていない(大人の恋愛の歌を子供が歌っている)、下心で歌っている(今これ歌ったらバズるかも?など)。
そういったことについて、よく生徒さんに「なんでわかるんですか?」と訊かれます。
その都度僕は、日常生活に例えてきました。
やたらと難しそうな言葉を使うけど、中身が分かっている人・いない人、身につけているものが自分に似合っている人・そうでない人、有言実行の人・社交辞令ばかりの人……。
それらが当たっているかどうかは別として、人は他人の言動からその奥にあるものを感じながら生活しています。
他人の言動を100%そのままま受け止める人は、よっぽど小さい子供でないかぎりほとんどいないでしょう。
そうした人の直感力に訴えかけるものが芸術です。
ただ難しいのは、芸術はあらゆる手段で人を騙そうとします。
陳腐なメッセージも、ちょっと気の利いた歌に乗せればそれだけで人はうっとりしてしまいます。
その歌が上手だったら、もう中身なんて考える人はいません。
そうして、人が本来持ち合わせている”中身を直感する”という本能は、技術によって易々と突破されてしまいます。
そこが芸術の素晴らしいところでもあり、恐ろしいところでもあります。
一方で謝罪会見は芸術ではなく、しかも謝罪の技術を訓練する人なんていないので、ぶっつけ本番となります。
だから人間そのものが出やすく、その結果見ている人は直感がきちんと働き、「きちんと反省しているな」とか「こいつ嘘ついてるな」と分かってしまうのです。
だから音楽や芸術の中身をもっと知りたい人は、YOUTUBEやTVで謝罪会見を見るような冷ややかな気持ちで接するといいのではないかと思います。
うっとりするのはその後でも遅くはありません。