八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介がギターや音楽について綴るブログ。

「じゃあお前がやれ、できないなら言うな」という”当事者主義”は危険


八幡謙介ギター教室in横浜

何かについて批判的なことを言うと、必ずと言っていいほど「じゃあお前がやれ、できないなら言うな」という極論が反ってきます。

これは、当事者あるいは経験者以外は口を挟むなという当事者主義といっていいでしょう。

一見正論のようですが、よく考えれば何の正当性もない暴論であり、非民主的な考えだとわかります。

当事者や経験者以外何も言ってはいけないのならその当事者だけで事を行っていればいいはずです。

何の経験もない一般大衆に対して見せているということは、当然そこからの意見、批判なども出てきます。

それを封殺していくとどんどん世界が狭くなり、また、独裁者を産む土壌となります。

例えば政治家が一般人に対し「じゃあお前がやれ、できないなら言うな」と批判を封殺し、それが正当化されればどうなるかと考えればその危険性がわかると思います。

もちろん、政治家がこんなことを言えば今なら一発炎上でしょうが。

表現の世界では、この当事者主義はアーティストの持病のようなものだと思います。

確かに、死ぬほど苦労してどうにかその世界で活動できるようになり、苦しい苦しい思いをしてやっと世に出せた作品にどこの誰だかわからないやつから好き勝手言われたら「じゃあお前がやってみろ」と言いたくもなります。

しかし、そもそもそうして獲得した能力や世に出した作品は、どこの誰だかわからない人に対してのものであるはずです。

音源が店頭に並ぶ、お金を払えば誰でも観覧できる、作品をネットで公開する、それらは全てどこの誰だかわからない人に向けた行為です。

それに対して当事者や経験者以外からリアクションが来るのは当然だし、そこに批判や、もっと言えば中傷が含まれるであろうことも予測できます。

一般大衆に向けて公開しておきながら、「じゃあお前がやれ、できないなら言うな」というのはアーティストのわがままであり、矛盾です。

それなら最初から同業者、経験者に限定して公開すればいいはずです。

 

一人前のアーティスト、パフォーマーになるには、技術や能力はもちろん、そうした非経験者、一般人からのどんな意見でも耐えられる精神力も身につける必要があるでしょう。

そうした心の強さを持たないままプロになり、素人にちょっと批判されるとブチ切れて「じゃあお前がやれ」と言っていると、世界がどんどん狭くなっていき、やがて誰からも相手にされなくなるでしょう。

非当事者、非経験者に向けて何かを発表するのなら、そこからのリアクションは一旦は受け入れるべきだと僕は思います。

その上で自分の苦労も少しは分かって欲しいと思うのなら、それを分かってもらえるように表現すればいいでしょう。