横浜ギター教室にて、ここ最近ジャズに関する質問やジャズを習いたいという生徒さんが増えてきたので、一度初心に立ち返ってジャズをやるということはどういうことかを書いてみたいと思います。
ここでいう「ジャズをやる」とは、全てのレベル、全ての目的に共通することです。
初心者からプロまで、人前で演奏する人から完全に自分だけで楽しむだけの人まで全てです。
まあロックもポップスもそうなんですが、 それらはまだ全員で作り上げるという意識が強いと思います。
ジャズはもっと個人の意見・意思がぶつかり合う音楽です。
だから自分の意見がなければジャズはできません。
もちろん最初からは無理ですが、初心者なら初心者の段階で「自分は今こう思っている」というのが何かあるはずです。
だったらそれを出していきましょう。
「先生がこう言ったから」「教科書にこう書いてるから」「みんなそう言ってるから」「有名なアーティストがこうアプローチしてるから」……
確かにそれらを参考にすることは大事です。
しかし、そうした誰かの意見を隠れ蓑に使ったり、エクスキューズにするべきではありません。
「誰々はこう言った、それを踏まえて自分はこう思う」を出すのがジャズです。
そうして演奏したものがいいかどうかはまた別の話です。
自分の意見を出して仮に失敗してもそれはまだジャズではありますが、誰かの意見を借りて成功するのはジャズではありません。
ジャズという音楽は、極端に言えば失敗する音楽です。
といっても、失敗を重ねて最後に成功するといった美談風の話ではなく、失敗そのものがギリギリのバランスでいつの間にか成功になっているというちょっと謎の価値観を持っている音楽です。
間違って弾いた箇所を後から聴いてみたらなぜかかっこよかった、でもなんでそれがかっこいいか誰にも説明つかない……そういった例はいくらでもあります。
とはいえ、もちろん完全なる失敗もあります。
しかしジャズ独特の美は、その失敗のラインギリギリからちょっとはみ出ているぐらいのところにしかないのです。
漫画やゲームなどでよくある、切り立った崖の最先端にしか咲かない幻の花みたいなものです。
その花をつかみに行くためには、崖(失敗)に向かって歩んでいくしかないのです。
正しいことを目指し、失敗を忌避するということは、その花に背を向けて離れていくようなものです。
だから、その態度でいるうちはジャズ独特の美に触れることはかないません。
ジャズをやるなら失敗に向かって進んでいく勇気を持ちましょう。
ジャズをなんのために演奏するかというと、共演者と会話をするためです。
会話のないジャズはジャズではありません。
また、ジャズのオーディエンスも、自覚しているかどうかは別として演奏者の会話を聞きにきています。
演奏を「つまらない」と感じたとしたら、そこに会話がないからでしょう。
ジャズの練習、それも初期のものは、個人の技能を高めるといった趣旨のものが多くなります。
スケール練習、ヴォイシング、Ⅱ-Ⅴ練習、などなど。
そういった練習をやればやるほど会話が出来なくなっていきます。
ですから、最初に取り組むべきはジャズにとっての会話とは何か、どうすれば会話になっていくのか、どんな会話があるのか、などです。
そこから入れば例えペンタしか弾けなくてもジャズを楽しんで弾くことができます。
ジャズを習うとしたら会話から教えてくれる人を探しましょう。
ともすれば忘れがちですが、ジャズは黒人の文化です。
確かにジャズにはある種の普遍性がありますし、世界中にシーンがあり、愛好家やミュージシャンがいます。
と同時に、かなり土着的で民族的な文化でもあります。
その文化についてのリスペクトを忘れないようにしましょう。
我々が、日本文化にリスペクトのない人に柔道や剣道をやってほしくないように、黒人は黒人文化にリスペクトのない人にジャズをやってほしくないと感じています(といってもそれを全面に出すシリアスな人はあんまりいませんが)。
日本人は昔から黒人アーティストにもちゃんと敬意を表してきたという歴史があるので、黒人側も日本人を敵視する人はめったにいません。
だから日本人と黒人は仲良しで、それはそれでいいことなのですが、だからこそなあなあになり、黒人の歴史や文化をちゃんと見つめるという機会がないまま彼らの音楽を演奏してしまいます。
ジャズは異文化であり、それを生み出した文化と民族に敬意を表することで取り組み方もまた違ってくるでしょう。
これからジャズをやりたいという人も、既にやっている人も、一度そういったことを考えてみてください。
上記のようなことを考えたこともなく、ただただコードやスケールといった記号を扱っているだけだとしたら、それはジャズではありません。