日本人がジャズについて解説するとき、必ずといっていいほど彼らの先祖が奴隷であったことに触れ、その悲しみや憤りが魂の叫びとなって噴出したのがジャズであると安易に結びつけられています。
確かに、アフロアメリカンの先祖は奴隷としてアフリカから連れてこられました。
それ自体は史実ですし、奴隷制度の名残は近代までありました。
マイルス・デイビスの自伝にも、黒人がどれだけ不当な扱いを受けていたかが怒りや悲しみの感情と共にはき出されています。
しかし、僕はジャズと奴隷制度を結びつける考えにはずっと疑問を感じてきました。
というのは、ジャズという音楽そのものからそうしたメッセージ(奴隷制度への怒り、etc)を受けることはごくまれ、というかほとんどないからです。
例えばファンクやヒップホップ、レゲエからは、黒人の権利や地位向上などのメッセージを強く感じます。
ブルースからは奴隷制度をルーツに持つ黒人の嘆きや悲しみ、あるいはそこにあるちょっとした喜びといった感情が聞き取れます。
しかし、ジャズからそうしたメッセージやイメージを受け取ることはほとんどありません。
例えば、ジャズスタンダードの歌詞を聴いても「Fight The Power」とか「Stand Up For Your Right」とかいかにもといったラインは出てきません。
一方で、ブルースやヒップホップによくある、女をはべらしてどーたらこーたらといった内容もそれほど多くありません。
ジャズの歌詞は、今の感覚だと薄甘くてちょっと恥ずかしいものが多いです。
しかも、内容も深く噛みしめるほど文学的でもなく、また、びっくりするほどセンセーショナルでもなく、「え、これだけ?」と肩すかしを食らうほどどれもあっさりしてます。
中には「Strange Fruit」という、黒人がリンチを受けて木に吊されている状態を「奇妙な果実」と題して歌詞にしたものもありますが、こういった歌はかなり珍しい方です。
ジャズの歌詞をちゃんと聴けば聴くほど、奴隷制や解放後の黒人への不当な扱いとジャズという音楽はむしろ切り離すべきではないかと思えてきます。
では歌詞のない楽器だけの演奏ではどうかというと、これもやはり奴隷制度との関係性は見えてきません。
例えば、古いブルースを聴くと歌詞がわからなくても「あー、きっと綿花農場できつい労働の後に一杯やりながらこうして歌ってたんだろうなあ…」と奴隷制度の名残がイメージとして浮かんできます。
しかし、ビバップ黎明期から50年代のジャズを聴けば聴くほどそうしたイメージとはかけ離れているように思えます。
有名な「公民権運動」も50年代中盤から起こり始めたそうなので、40年代から50年代にかけてはちょうど黒人が奴隷であった過去と決別しようとする機運が高まっていたのでしょう。
当時の先進的なジャズミュージシャンの演奏からも、そうした過去との「決別」のメッセージを感じます。
これからジャズを楽しみたいという方は、ジャズと奴隷制度を安易に結びつけるのはやめた方がいいでしょう。
「ジャズは奴隷として連れてこられた黒人の魂の叫びだ」と紋切り型の解説をする人は疑った方がいいです。
そこをベースにするからよくわからなくなってくるのです。
そうではなく、前回ご説明した黒人精神としての<逸脱>からジャズを紐解いていくと、我々日本人にも理解しやすくなるというのが僕の考え方です。