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日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた


八幡謙介ギター教室in横浜

ジャズトランペッターの日野皓正がコンサート本番中に舞台上で中学生のドラマーからスティックを取り上げ、さらに往復ビンタという暴行に及んだ件について、元ジャズミュージシャンという立場から考えてみました。

 

日野の行為が児童虐待であることは間違いありませんが、それでもなぜか日野擁護論がネットに多く見られます。

その根拠は、この中学生ドラマー(以下:少年)が場を乱した、ルールを破った、指示を無視したから殴られて当然ということらしいです。

だとすれば論点は、少年のプレイにどこまで非があったかとなります。

さらにこれはジャズという音楽を演奏する上での出来事なので、ジャズ的にどれほどの非があったかと考えるべきでしょう。

そこでジャズミュージシャンの専門的な見地が必要となるのですが、事件がネット上で話題になってから一晩たってもジャズミュージシャンの意見が聞こえてきません。

まあそれも当然で、下手なこと言って大御所中の大御所ににらまれでもしたら仕事していけませんからね。

ということで、ジャズをやめた元ジャズミュージシャンの僕がこの件について解説したいと思います。

 

まず、少年がルールを無視したとされる問題の場面について。

ここはどうやら<トレーディング>というセクションでの出来事のようです(ツイッターで検索したところ、実際にそのコンサートにいた人が書いていました。ただし面識のない人なので引用は控えます)。

<トレーディング>(日本では4バースとか8バースと呼ばれますが、ここでは英語圏の共通用語であるトレーディングで統一)とは、楽曲の後半でドラマーとソロイストが交代で任意の小節間ソロを披露する場面です。

例えば、

 

トランペット4小節ソロ(伴奏あり)

ドラム4小節ソロ(ドラム以外は全員休む)

アルトサックス4小節ソロ(伴奏あり)

ドラム4小節ソロ(ドラム以外は全員休む)……

 

といったルールでソロを回していく。

全員が同じ小節だけソロをしていくというのもルールの範疇です。

そしてここは、ある意味ドラマーが目立つためのセクションといってもいいでしょう。

なぜなら、ドラムソロの間は完全に自分だけになるので。

ですからドラマーにとっては「ここぞ!」という場面になります。

当然かっこよく目立とうとするし、そうあるべきところです。

少年が問題とされる行為をしたのはこのセクションであることを押さえておく必要があるでしょう。

 

では次にジャズという音楽の<精神>について述べておきます。

これを理解しないと問題の本質が見えてこないからです。

ジャズには<逸脱>という暗黙の精神が存在します。

これは「ちょっとぐらい人と違っててもいいんだよ」といったレベルではなく「逸脱しなければジャズじゃない」といったほとんど強制に近いものだと考えて構いません。

例えば、「礼節を重んじない者は日本武道をやる資格がない」というのと同じです。

ジャズが面白いのは、この<逸脱>が単なる精神論ではなく、音楽的手法として存在していることです。

例えば「アウト」という技法がそれです。

「アウト」とは、コードにない音(外れた音、指示されていない音)をわざと使って独特の浮遊感や緊迫感を出すジャズの必須テクニックです。

メロディやハーモニーにおける「ジャズっぽさ」というものはこの「アウト」の産物であり、<逸脱>の成果です。

リズムにおいてもジャズでは少し遅らせたり揺らしたりし、正しいリズムから<逸脱>することがよしとされます(これは目指す演奏によって違ってきますが)。

 

歌もそうです。

ジャズシンガーで譜面通りに歌を歌う人はいません。

ジャズを歌う場合は正しいメロディから<逸脱>し、その場その場で自分らしく作り替えることが必要となります。

このように、ジャズという音楽にはあらゆる演奏(歌)、あらゆる場面に<逸脱>が求められるのです。

そうした<逸脱>の歴史がジャズの歴史と言っても過言ではないでしょう。

 

ちなみに、日本人のジャズが面白くないというのは日本人含め世界の共通認識ですが、なぜかというと<逸脱>したがらないからです。

仮に<逸脱>するとしても、過去の前例やその場の空気、指導者のGOサインを見てからようやく、という人がほどんどです。

日本のジャズシーンに仮に<逸脱>があるとすれば、それは根回しされ事前に許可されたものです。

そうでないと空気が読めないとされ、使ってもらえなくなるからです。

プロのジャズミュージシャンでも、誰かが<逸脱>したら怒る人がよくいます。

日本人にはそういう人が多いです。

 

最後に、ジャズのルールとしてもう一つ説明しておきます。

ジャズは<逸脱>する音楽ですが、同時にそこからの<回復>も必要です。

<逸脱>しっぱなしではめちゃくちゃになるだけです。

コードやリズムからいっとき<逸脱>しても、また元にひょいと戻れるスキルも絶対に必要とされます。

この<逸脱>と<回復>をきっちり使いこなせるのが一人前のジャズミュージシャンです。

<逸脱>は勇気さえあれば誰でもできますが、そこからの<回復>はスキルや経験値がなければ難しいです。

 

では改めて話を戻しましょう。

少年の行為は、

 

1、ドラムが目立つセクションで

2、尺を守らずに<逸脱>し

3、そこから<回復>できずに場が崩壊してしまった。

 

というものですが、僕からすればこの少年はジャズの精神をしっかりと持っている立派なジャズミュージシャンだと思えます。

おそらく彼が<逸脱>したのはトレーディングの場面のみでしょう。

それは自分が<逸脱>してもいい場面をきちんとチョイスしていたことの裏付けとなります(トレーディングはドラムが目立つ場面)。

そして、「おのおの決まった小節ずつ平等にソロを回す」という決まりを本番で無視し、自分だけのドラムソロとして食ってしまうことは、ジャズ的には全然ありです。

ただしその後に<回復>できなかったのは彼の責任なので、その点は叱責されてもいいと思いますが、中学生ということを鑑みれば仕方ないで十分済ませられます。

 

それにしても、この少年の勇気には脱帽です。

考えてみてください、日本人の中学生が世界的アーティストの監督する舞台の本番で、自らルールを破りジャズの精神に則って<逸脱>したのです!(しかもスティック取り上げられても、髪を掴まれても反抗してる!!)

この一点だけ見ても僕には彼がそこらへんのプロよりも立派なジャズミュージシャンであると思えます。

 

ここで疑問が生じます。

ではなぜ生粋のジャズミュージシャンである日野皓正は少年を称えずに暴行を加えたのか?

正直、僕には全く理解できませんが、おそらく監督である自分の指示に従わなかったのが気にくわなかったのでしょう。

あるいは、みんなが平等な尺でソロを回しているのに少年がそのルールを破ったことに怒ったのか。

何にせよ、日野の怒りはジャズ的に不当であり、私には見当違いに思えます。

バンドメンバーの誰かが本番で打ち合わせと違うことをやりだしたなんて彼の長いキャリアで数え切れないほどあっただろうし、それを本番中になんとかまとめあげ着地させるスキルも持っているはずです。

そういった音楽的解決をせず、感情にまかせて舞台上で児童暴行に及んだ日野皓正を擁護する価値はありません。

「世界的ジャズミュージシャンが怒るほどだから、少年の行為が<ジャズ的に>間違っていたんだろう」と考える人もいるでしょう。

それは権威主義というものです。

この少年は今回の事件にめげずに、今後も本番でどんどん<逸脱>してほしいと思います。

それこそがジャズなのですから!

 

以下は余談として。

ベッキー不倫事件以来、こうした問題に対して必ずといっていいほど「当事者間の問題なので部外者が口を挟むべきではない」とする当事者論が起こるようになりました。

不倫はともかく、本件に関しては当事者間の問題では済まされません。

なぜなら、日野皓正は「ジャズミュージシャン」あるいは「ミュージシャン」という肩書きを背負った上で児童虐待を行ったのであり、結果として世間的に「ミュージシャンは子供に平気で手をあげる」といったイメージを流布したからです。

これは音楽講師としてはとばっちりです。

ミュージシャンに子供を預けるのは怖い、何されるかわからないと考える人が増えれば音楽教室全体が不振になりますし、音楽教育も進まなくなるでしょう。

また、子供が音楽に興味を持っていても今回の件を受けて親が習いに行くのをやめさせるという事例が将来的に起こるかもしれません。

このビンタ事件は、決して当事者間では済まされない問題を内包しているのです。

本件が、日野皓正個人が起こした暴行事件であり、ミュージシャンや音楽講師全体の問題ではなく、彼自身の問題であると広く世間に認識されるよう適切に報道されることをいち音楽講師として望みます。