評価をされるために何かをしても大体それは評価されません。
評価されないと言うのは、酷評や罵倒すらなく、ただただ無視されるということです。
仮に何らかの評価があれば、絶賛でも酷評でもそれを参考にして次に進むことができます。
しかし評価が全くない、あるいは極端に少ないと、よくも悪くも方向性の転換ができずまた同じことをしてしまいます。
しかも、前回は全く評価がなかったから次は評価されるように頑張ろうと、「評価」がより強い目標になります。
体験からも言えることですが、評価されるために何かをするのをやめればなんらかの評価が上がってきます。
もちろんそこにはマイナスのものも含まれます。
それに傷つくこともありますが、気持ちが落ち着いてくれば次の行動への指針となってくれます。
今までやってきた音楽活動を振り返った時、よくも悪くも評価されたものは、評価を度外視してその時自分がどうしてもやりたいと思ったことをはっきりと形にしたものだけです。
ほとんどの人は、長年の学校教育の結果、評価のために行動するということを無意識に、あるいは意識的に行ってしまいます。
もちろんそれで評価されてプロになり仕事を増やしていった人もいるでしょう。
しかし、ほとんどの場合は評価されるために何かをするとやはり評価されません。
せっかく芸術をやっているのなら、内申点を稼ぐようなせこいことをせず、一歩踏み出して(踏み外して)みるべきではないでしょうか?
せっかく好きなことを始めて、何かを発表できるほどのスキルを得られたのなら、本当に心から好きなこと、自分が心から信じている事を一度はそのまま出してみるべきです。
それはある種、死を覚悟しなければならないほど勇気のいることですが(特に日本社会では)、そこに必ず得られるものはあります。