ジャズの人はよく、アドリブを説明する際、「ここは◯◯が使える」ということを口にします。
「コンディミが使える」とか「オルタードが使える」、「♯9thが使える」等々。
またジャズを習う人も、ここのコードで「何が使えるか」ということを質問したりします。
このように、ジャズのレッスンは、ともすれば「何が使える使えない」といった話に終始することがほとんどです。
一見何の変哲もない音楽的日常風景のように思えますが、僕にはここに重大な問題が潜んでいると思います。
結論から言うと「〇〇が使える」とは自分(達)の都合の話でしかありません。
客からしてみたらコンディミを使おうがオルタードを使おうがどうでもいいし、アドリブ、ひいては音楽そのものの完成度ともそんなに関係はありません。
「〇〇が使える」というのは、観客不在の内輪話でしかないのです。
例えるなら、料理人が料理をつくるときに「ここは〇〇社のフライパンが使える」「ここは△ △社の包丁がいい」という話に終始しているようなものでしょう。
もちろん、作業の都合上そういった段取りや共通認識は必要なのでしょうが、大事なのは完成した料理の美味しさ、そして食べた人がそれに満足するかどうかであるはずです。
改めて音楽の話に戻りましょう。
僕は今までいろんなところでジャズを学んだり、ジャズミュージシャンと交流してきましたが、「〇〇が使える」といった話が出ても、それをすれば聞いている人はどう感じるかといったところまで話が進んだ事は一度もありません。
自分たちが使う道具の話に終始し、それが本番で思い通りに使えればオッケー、客がどう感じるかは知らない…これではジャズに人が集まらないのも当たり前です。
そういったことを昔からずっと考えてきて、少なくとも自分のレッスンでアドリブを教えるときは、どんなに初心者でも「聞いた人がどう感じるか」を大前提として教えています。
アドリブ初心者の一回目のレッスンでも必ずそれを言います。
そこさえ忘れなければ、たとえコンディミやオルタードといった複雑なスケールが使えなくても、音楽として聴けるものにはなっていきます。
アドリブを学んでいる人はそこを忘れないようにしてもらいたいものです。
また、「〇〇が使える」で話を終わらせている人がいたら、その人の脳内に観客はいないと思っておいた方が良いでしょう。