アンサンブルで、個々のプレイヤーが絶対的なタイムに合わせようとすると、演奏が堅くつまらないものになっていきます。
一方、それぞれのタイムがかなりずれているアンサンブルの方がグルーヴしていることが多いです。
なぜそうなるのでしょうか?
本来演奏とは、感情に従って走ったり遅れたりするものです。
そこにダイナミズムが生まれ、音楽を生き生きとさせます。
しかし、絶対的なタイムに合わせようとした時、それらを修正する必要が出てきます。
正確なタイムのために、感情が溢れ出すあまり走ったりモタったりしている部分を削っていくので、当然その分音に込められた感情も削られていきます。
そうやって抑制された演奏が集まったアンサンブルになるので、その分つまらなくなるのは当然と言えるでしょう。
一方、タイムをそれほど気にしない演奏では、感情がむき出しになります(そのための技術は必要ですが、今は別の話) 。
それではアンサンブルは無茶苦茶になるのではないかと思いますが、意外とそうでもありません。
自分のタイムで演奏するAさんと、自分のタイムで演奏するBさんが同じ曲を演奏した時、それぞれのタイムがぶつかり合い、そこに中心が生まれます。
その中心は、最初から用意されていたものではなく、プレイヤーそれぞれが感情を出して演奏した結果生まれたものです。
だからそこにエネルギーが生じ、人はそれを感じて興奮したり高揚したりします。
全員が最初から用意されているものに合わせる(絶対的なタイムに合わせる)演奏では、残念ながらそのエネルギーは生まれません。
抜群にタイム感がいい人達が集まった演奏で大して興奮しないのはそういうことです。
また、とてつもなくグルーヴしている演奏を聞いて、タイムの中心を探ろうとしてもうまく探れなかったりするのも、上記で説明したような仕組みに由来します(個々のタイムがぶつかり合い拮抗している状態なので、絶対的なタイムは存在しない) 。
もちろん、グルーヴにもいろいろ種類があるので、崩壊寸前のところまで膨らんだものや、絶対的なタイムに近いところまで寄せているものもあります。
いろんなジャンルの良い演奏を聴いているとちょっとずつわかってくると思います。