弾いてみたなどの動画で多いのが、自己主張が楽曲より前に出ていて、楽曲が楽しめなくなっているもの。
これにはいろんなタイプがあります。
「ほら、俺上手いだろ」
「どう、あたしセクシーでしょ?」
「この曲をこんなアレンジしちゃいました、僕すごいでしょ?」
「この楽器でこんな曲を弾いちゃいました、どう、斬新でしょ?」
「まだこんなに小さいのに、こんなに上手に弾けちゃうんです!」
などなど。
そういった主張が楽曲より前面に出ていると、もう聞く気がしません。
もちろん、本人は「そんなこと思ってない!」と否定するでしょうが、こちらはリスナーとしてそういったメッセージを瞬時に受けてしまっているので仕方ありません。
このように、リスナーに聞く気をなくさせるほど自己主張が強いものは、表現として失敗しているといえます。
これはなにも音楽や文学など、芸術の世界だけのことではありません。
日常でもこういった現象は多々起こっています。
例えば女性が大嫌いな「ぶりっこ」。
自然にしていれば「かわいい」と感じるのに、本人が『私かわいいでしょ?』と言わんばかりの言動をとると、途端に冷めてしまいますよね。
あるいは男性のかっこつけ。
普通にしていればかっこいいのに、『俺かっこいいだろ』アピールをされると引いてしまいます。
いずれも本人はそのつもりはないでしょう。
しかし、他人はそう感じており、知らない間に距離を置いているのです。
このように、人は対象にあからさまな自己主張が見えると気持ちが冷めたり、相手をちょっと馬鹿にしてしまう習性があります。
自己主張が”芸”だとすれば、それを相手に見破られないよう自然に見えるまで練り込むのが”術”といったところでしょうか。
各分野のプロが集まって徹底的に練り上げた「かっこつけ」「ぶりっこ」には、そういった”術”があるのでしょう。
それがないと、すぐに見破られ、失笑されてしまいます。