八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ

ギター講師八幡謙介がギターや音楽について綴るブログ。

日本人が文化・芸術に持つ奇妙なダブルスタンダード


八幡謙介ギター教室in横浜

以前から気になっていて、前にも書いたことがありそうですが、改めて。

日本人は、異国の文化や芸術が大好きです。

一方で、自国の文化・芸術が海外で認められることも大好きです。

しかし、このふたつに対して異なるスタンダードを持っているようです。

まず、日本人は異国の文化・芸術を、必ず日本流にアレンジし、自分たちに合わせたものに作り直します。

そして、頻繁にオリジナルよりいいものを作ってしまいます。

洋服、食べ物、車やバイク、時計、などは世界的にも有名です。

もっとおおきなところでいうと法律や国家体制などもそうでしょうか。

それはそれで便利ではあるのですが、一方で、日本流にアレンジすることでオリジナルの文化・芸術が持つ本質的な何かを壊していることも多々あります。

 

日本人から見たら単なる無駄や惰性、あるいは怠慢でしかないところにその文化・芸術の本質があることもあるのです。

これは、逆のケースで考えてみればわかることです。

例えば柔道を見てみましょう。

柔道は勝ち負けを競うスポーツであり、国際的に認知されています。

しかし、外人選手のポイントや審判への印象を巧みに利用した戦略を見て、我々はどう思うでしょう?

『あんなの柔道じゃない!』と日本人なら誰でも感じるでしょう。

ちゃんと組み合って、技を競い合い、せこせこポイントを稼ぎにいかず、一本を狙う、その潔さ、美しさが柔道だと日本人は考えます。

しかし、外国人はそんなことは気にしません。

競技である以上勝たなければ意味がないし、ルール上問題なければ何をやってもOKだと考える人が多いようです。

これは、外国流にアレンジされた柔道です。

そういった試合を見て、柔道が汚されていると感じる人も多いはずです。

 

しかし、

一方で、我々は外国文化・芸術に対して同じことをしていたりもします。

それに対して母国の方から「そんなの○○じゃない!」と言われても、まともに取り合う人はいないでしょう。

これが日本人のダブルスタンダードです。

外国の文化・芸術を日本流にアレンジするのをよしとするなら、日本のものをアレンジされても受け入れるべきだし、日本の文化・芸術を正しく受け入れてほしいなら、外国のものもそうするべきです。

僕は日本の文化・芸術は正しく受け入れて欲しいので、外国のものも自分ができる範囲ではできるだけ正しく行おうとしています(全部は無理ですが)。

ジャズを弾くときはスゥイングを基本とし、英語の歌詞で歌い、ブルースを持って弾く。

日本流に、灰汁を抜いて、角を取って綺麗に正確に弾かない。

そうやってできるだけオリジナルに近い状態で接することで初めて浮き上がってくることや、目に見えてくるものがたくさんありました。

もちろん、なんでも日本流にアレンジするのもそれはそれで構いませんが、その場合は自国の文化・芸術がどうアレンジされようと文句を言ってはいけません。