ある程度名が知られてくると、作品や演奏を否定されることも多くなります。
まあ、それ自体人に知られてきたことの証なのですが(それだけ沢山の人に聞いてもらっている証拠) やはり否定的な意見や中傷、暴言は嬉しくはありません。
また、有名になればなるほどそれらも相対的に増えていくので、いちいち傷ついていると活動に支障をきたしてしまいます。
アーティストが否定されて落ち込むとき、原因は相手の言葉ではなく、どこかその人の心の中に後ろめたさがあるからではないかと思います。
本当はもっとやれたはずなのに「こんなもんだろ」で終わらせていたり、攻めるべきところで守りに入っていたり、自分の感性よりも周りの評価を気にして創作や演奏をしていたり……。
そうした後ろめたさが残っているものに対して否定されると、なんとも言えない恥ずかしさや自責の念がおこってき、否定してくる相手への怒りよりも自責の念で落ち込んでしまうのではないでしょうか?
しかし、自分が持てる力を出し切ったものならどうでしょうか?
あるいは、何らかのコンセプトがあり、それをやりきった場合はどうでしょう。
恐らく、否定されてもそれほど落ち込みはしないと思います。
もちろん、後から見返して全然ダメだなと思うこともあるでしょうが、それでも出し切った作品や演奏はどこか清々しく感じられます。
一方、出し切っていないもの、どこか守っているものは、目を覆いたくなるほど醜悪で、自分でも見ていられません。
やはり何かを創作したり演奏したりするときは、いいところに納めるのではなく、極端に振り切るべきです。
そうすれば、例え失敗したとしても清々しい気持ちで振り返れますし、否定されても落ち込むことはないでしょう。
また、そうして毎度毎度全部出し切るようにしていると、必ず成長できるはずです。
何をやっても「いいね」と言ってくれるイエスマンとばかりつるんでいたり、落ち込んだときのためになぐさめてくれる人を常備している人は、守り癖がついてしまうので危険です。
なぜなら、中途半端なものをつくって否定されても、最後には自分を受け入れてくれるシェルターがあるからです。
そういう人は残念ながらいつまで経っても同じことを繰り返してしまいます。
実際にそんな人たちを何人も何人も見てきました。
そうなりたくなければ、攻めましょう。
出し切りましょう。
とはいえ、それがなかなか出来ないんですよねえ…