音楽用語の「グルーヴ」というものを、日本人は先天的に理解、体感することができません。
なぜかというと、(西洋的な)ダンスをする習慣がないからです。
今では学校でダンスが必修となっているようですが、結局義務としてやらされるだけで、文化や生活に根付いたものではないので、グルーヴに対する日本人の感覚は今後も変わらないでしょう。
偉そうに言う僕も、グルーヴについてはっきりと違いがわかってきたのはわりと最近のことです。
ジャズをはじめた20歳ぐらいの頃、先生が「ウエスを聴け」とか「コルトレーンを聴け」とか言うから聴いてみたものの、何が凄いのか全く体感できませんでした。
ジョン・コルトレーン - Wikipediayoutu.be
またロックをやっていた頃も、グルーヴではなくハーモニーやサウンド、あとはルックスなどの嗜好で音楽を聴いていました。
一方で、今自分がグルーヴ的に凄いと思う音楽を生徒さんに聴かせてみても、半分ぐらいしか伝わっていないだろうなと感じたり、時には全く理解されていないようなこともあります。
やはりグルーヴを先天的に体感できる日本人はいないのだろうと思います。
西洋音楽は、グルーヴの音楽です。
ロックもジャズもファンクもEDMも全てそこが根幹となっており、ガツンとグルーヴした上で初めて歌詞のメッセージ性だったり、高度な演奏テクニックだったり、独特のサウンドなどが意味を持ってきます。
しかし、日本人には先天的にこうしたグルーヴが分かりません。
ということは、西洋音楽の根幹がすっぽりと抜けた状態からそれらの音楽に接していくことになります。
そして、持ち前の勤勉さを発揮し、それぞれの音楽の歴史や存在意義などをきっちりと学び、テクニックやハーモニーを習得し、さらに日本人特有の「作り変え」を駆使して独自のものにしようとするのですが、いつまでたっても『なんか違う……』ものにしかなりません。
音楽シーンに時折現れる”本格派”歌手やプレイヤーも、やはりよく聴くと――本物に近いところに来ているだけに――『なんか違う……』と感じてしまいます。
その『何か』こそがグルーヴの違いです。
(ということは、『何か違う』と感じられていればまだましだということでしょう)。
とはいえ、これは仕方のないことかもしれません。
というのは、日本人がグルーヴを体感し再現するためには、短くても10年以上の研鑽が必要だからです。
しかし、そうなるまでにもうかっちりとしたタイム感で音楽を学び演奏しているはずです。
そして『ああ、これじゃなかったんだ!』と気づいたときにはもう立ち止まれない(改めてグルーヴを作り直すことができない)ところに来ていた……というミュージシャンは多いでしょう。
このように、日本人は、よほどの幸運がない限りグルーヴから音楽に入ることができません。
そして、後天的にそれぞれのジャンルのグルーヴを体感できるようになったとしても、実用化までこぎつけることができないことがほとんどです。
とはいえ、時代は変わっていきますから、今の若い子はもしかしたらグルーヴの違いがもう体感できるのかもしれません……
余談ですが、グルーヴというものを全く理解しえない「グルーヴ音痴」の人は、ミュージシャンの中にも一定数存在します。
そういった人はだいたい、昔のジャズやロックを聴くとドヤ顔で「ずれてる」と指摘しますw
そのズレが生むグルーヴを体感できないのでしょう。