アドリブを教えていて必ず言うことは、最初のフレーズで様子を見るなということです。
よくあるのが、アドリブが自分の番に回ってきたら、とりあえずロングトーンで様子見をしながら慎重に進めていくパターンです。
まあ、気持ちは分かりますが、出だしで様子見のもやっとしたフレーズから入られると、共演者も同時に様子見からはじめないといけなくなります。
そして、仮に中盤から盛り上がってくるにしても、それまでの数コーラスはつまらない状態が続きます。
これではリスナーの心は掴めません。
僕がセッション修行をしていたアムステルダムでは、上記のようにソロをはじめるともう誰も興味を持ってくれなくなります。
ジャンルは違いますが、小説でも出だしが肝心で、ここで読者の心を掴むことが重要だとよく言われます。
ですから、日本人によくあるもやっとした様子見の始まり方をやめて、一発目のフレーズから一番かっこいい、とっておきのやつをばしっと使っていきましょう。
するとリスナーも「おっ」と興味を持ってくれますし、共演者も最初から気合いが入ります。
以下、蛇足。
この、最初をもやっとさせるというのは恐らく日本人の癖で、日本古典文学でも、冒頭でもやっとした厭世観を出して、そこから徐々に話を進めていくというものがいくつかあります。
「奥の細道」とか「方丈記」とか。
そういえば「雪国」も最初から最後までもやっとしていますね。
日本人はそういう空気感が好きなんでしょう。
議論なんかでも、いきなりばしっと持論を突きつけると引かれますしねw
ですが、西洋音楽におけるアドリブはそういうものではないのです。
ある種、論文のように、ど頭にいきなり結論をバーンと出す方がアドリブとしては成功しやすいと僕は思います。