自慢じゃないですが、僕はギター講師としてギタリストの間でまーまー知られてます。
元々の知名度もなく(メジャーデビュー経験もなくバンドで売れたわけでもない)、さらにここ数年ライブもしない、レコーディングもしない、曲も作らない、メディアにも出ないのに、です。
もしかしたら、まーまーじゃなくてそこそこかもしれないし、ひょっとしたらかなり知られているのかもしれません。
なぜでしょう?
それはおそらく、徹底的に論理を追求しているからだと思います。
「ギタリスト身体論」を執筆する際、僕は作戦を練りました。
上記のように、全く知名度のない人間が書いた教則本をどうやって読者に納得してもらうか?
今でこそ僕が何か言ったり書いたりすると、「ギタリスト身体論の八幡がこう言っている」とある程度の信憑性を持って受け止めてもらえますが、当時はそんなこともなく、ただただ誰も僕のことを知らないという状況です。
その状況で何を武器にするかというと、論理以外にありません。
だって、僕というギタリストに全く説得力がないんですからねw
有名アーティストであれば『あの有名な○○さんが言っているんだから』と思ってもらえますが、そうでない場合は『は、誰あんた?』で終わりです。
とにかく論理を徹底的に磨き上げ、誰もが納得するようにまとめあげる。
そして、著者の知名度で(半ば無理矢理)納得させるのではなく、読者の理性に直接訴える……、その作戦は見事成功しました。
それ以降、僕はただただ論理を武器に教則本やブログを書き、関西や横浜のギター教室でレッスンを行ってきました。
そして折に触れ、論理の持つ力に自らが驚かされてきました。
人は、論理的な筋道が通っていれば、書き手や発言者が誰であれ、納得し、実践してくれるものです。
日本人は論理性よりも感情が先走ると言われていますが、僕の実感としてはそうは感じません。
論理的に正しいこと、論旨の通ったことを書くと、驚くほど人は納得、共感し、実践してくれます。
最近の記事では「デフォルト・モード・ネットワーク」を取り上げたものがヒットし、人々のリアクションをSNSで見ていました。
自分を知ってもらうため、自説を広めるために知名度を上げるのは間違ってはいませんが、そのせいで失うものや、かえって身が危険にさらされることも多々あります。
業界政治に取り込まれ身動きができなくなったり、急激に知名度が上がったせいで足を引っ張られたり、あるいはその振り幅ですぐに忘れられたり、偏った印象を持たれたり……。
それよりも、ゆっくりではあっても、論理的に筋の通った主張を続け、自分に対して「ものごとを論理的にとらえ、説明できる人」という認識を少しずつ勝ち得ていく方が賢明であると僕は実感しています。
まあ、時間はかかりますが……