芸事において、初期衝動とはかなり重要なものです。
生まれてはじめて観たアーティストに魂を揺さぶられ、以後その道を突き進み、大成したというアーティストは大勢います。
そうした「初期衝動」が苦難の連続であるアーティスト活動を支える情熱の炎となって自分を焚き付けたり、いつまでも枯れないインスピレイションの源泉として心に宿り続け、自身に創造をもたらしてくれるのでしょう。
では、ジャズギタリストの「初期衝動」について考えてみましょう。
こんにち、ジャズが「初期衝動」となってギターを手にしたジャズギタリストは、限りなく0に近いでしょう。
ほとんどはロックや弾き語り、あるいはクラシックギターからはじめて、何らかのきっかけでジャズに移行したものだと推察されます。
しかも、そのきっかけも、自分の魂を揺さぶるほどの強烈なものではなく、なんとなく流れでジャズをやるようになったという人がほとんどではないかと思われます。
ちなみに、僕もそうです。
ジャズギタリストは、ジャズギターを弾くということに対して、強烈な「初期衝動」を持ってはいません。
もちろん、情熱は多かれ少なかれ持っているとは思います。
しかし、ジャズギターに魂を揺さぶられてギターを手にしたという人は、たぶんいないでしょう(そういったエピソードを持っているのは、まだロックがなかった時代の人たちです)。
一方で、ロックギターにはそういった初期衝動を持ち、それを糧にして音楽活動をずっと続けているアーティストがたくさんいます。
やはりそういったアーティストからは――上手い下手は別として――ほとばしるような情熱を感じます。
人はその熱量に魅了され、彼の音楽の虜になります。
現代のジャズギター界にそこまでの情熱を放つアーティストがどれほどいるでしょうか?
いや、楽しそうな人、一生懸命弾く人、情熱を感じる人はいます。
が、ロックやポップスやアイドルのような「ほとばしる」感じの人は、現代ジャズギターには皆無でしょう。
僕はその原因は、「初期衝動」の欠如にあるのではないかと思います。
ジャズギタリストの「初期衝動」は、ジャズにはありません。
これは現代から、恐らく未来永劫続くであろうジャズギターの宿痾です。
とはいえ、もしかしたらいつか、ジャズに魂を揺さぶられギターを手にし、ほとばしる情熱を我々に伝えてくれるジャズギターヒーローがいつか現れるのかもしれませんが……。