音に感情を込めるとタイムがぶれます。
ざっくり言うと、勢いや気合いを入れると突っ込みます。
逆に、優しく大切に弾こうとするともたります。
この是非について。
一般的な西洋音楽では、タイムは正確であればあるほどいいとされています。
プロを自称するミュージシャンでも、タイムのぶれ=音楽的損失(あるいは技術不足)であると信じて疑わない人が多数おられます。
しかし、上記の通り、音に感情を込めるとタイムは必ずぶれます。
そこでタイム教の信者は何をするかというと、極力感情を消そうとします。
その方が正確なタイムで演奏できるからです。
その結果どうなるかというと、上手いけどつまんない演奏のできあがりです。
タイムやアーティキュレイションはやたらと正確だけれど、聴いていてもぜんぜん楽しくない……それもそのはずです、だって感情がないんですから。
一方で、タイムはぶれぶれでピッキングも不安定だけどめっちゃいい!という演奏も多く存在します。
感情が乗っているからでしょう。
物理的な時間を音楽よりも上位に置くか、それとも感情を優先し、物理的時間を下位に置くか、それは自由です。
ただ、人が音楽の何を聴いているのかを考えたとき、物理的時間の正確性よりも感情を優先するべきではないかというのが今の僕の考えです。
もちろん、タイムのぶれにもいろいろあって、許容範囲を超えたのはダメですが(しかしその許容範囲もジャンルによってまた変わってくるので判断が難しいところです)。
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